「海を守る」とかいう漠然とした言葉の意味を、おこがましくも考え続けるブログ

魚オタクの筆者が、「海を守ること」「より多くの人が海の恩恵を受けること」をテーマに、たくさんの人の知恵をつなげようというブログです。 科学的な目線、社会的な目線…色々な視点から、より多くの方と関われればと考えています。 ご賛同もご反論も、ドシドシお願いします! ブログの詳細はこちら http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/2690844.html ※あくまで個人的なブログです。所属する会社等とは無関係ですのでご注意ください。

カテゴリ: 政治

1.環境問題(や貧困)の解消は単なる「正義」というより、長い目の「経済対策」であり、人類の「生存戦略」だと共有すること。

2.問題の解消には、人と人の分断を埋め、国や組織をまたいだ(水産業界がリードしての)協力が要る共有すること。
協力を急ぐなら急ぐなり、協力が遅いなら遅いなりの苦しみがあるので、どうバランスをとるかを議論すること。

3.人は分断し問題の責任を押し付け合うが、分断の背後に善意はあると共有すること。分断マインドは冷静さで克服できるし、お互いの立場を慮り合えば、譲り合う交渉は可能であること。

4.分断を超えるため、皆で「4つのカギ」をつくること。
4.1.各自の責任を客観的に見える化する「海の健康診断」
(海や自然に関わる仕事をしている人はデータ提供をできる)

4.2.研究結果を冷静に共有する分かりやすくて、嫌味と忖度がない科学コミュニケーション
(海や自然の知識を持つ人はメッセンジャーになれる。対象は「海の現実について聞く意欲があるけど話が複雑で分からない」という人)
4.3.責任を負う立場の人を苦しめない制度をつくること
(「環境を守るためのルールを強制されてしまった」と言う人も補償などで極力苦しめず、協力してもらうこと)

4.4.最大のカギ。皆が気兼ねなく本音と知恵を出し合える、風通しの良い気風をつくること
(特に、高齢層と真摯に対話できる若者が現れることが重要。
「問題を見て見ぬフリせず解決できること、変化できることがカッコいい」
「真に賢いのは誰かを論破することではなく、異論にも聞く耳を持ち、異なる立場同士の共存策を出せること」
「より多くの人が納得でき苦しまない、環境保全の方法をつくろう」という空気をつくる。 「異論を聞く耳さえあれば誰だって議論に入り知恵を出せる」体制もつくる) ・・・ 意欲ある熱い人が冷や飯を食わされる現状は、ちょっとよろしくない。 意欲を失えば、本当に海も近代文明も死んでいく。 僕は熱さと記者としての経験くらいしか誇れるものがない。記事の文だけでアプローチできる相手は少ない。 ただ、文章を見た人たちが、トークやアート、料理、科学、海遊び…本人なりの才能を生かして、 本人なりの表現を続けてくれれば、もっともっと多くの相手にアプローチできる。 そうすれば、少しは良い未来が待っていると思う。

前半の話をまとめると

(2.のように)若者が「環境問題に対策しよう」と声を上げるのは大切ですし

(3.のように)対策の負担配分を減らす工夫も考えられます。ただし、

(1.のように)問題提起した人は周りから「余計なこと言うな」と言われたり、

(4.のように)「(都合の悪い意見だけ)聞かない」的な人に怒られたり、

そういう怖さがあるので、声を上げるのは勇気も要る…という感じです。

 

では、声を上げる勇気を持つためにはどうすれば良いでしょうか。

年配者からも「これなら聞こう」と思ってもらえるような

「優しい声の上げ方」を工夫することじゃないかな、と筆者は考えます。

・・・・・・・


5.「優しく」問題提起する勇気を

 

さて、海や自然はつながってしまっているので、

誰かだけ環境対策を頑張っても、他の誰かが壊したら意味がありません。

「漁法Aは何トンまで魚を獲って良いよ、漁法Bは漁期をこれだけ規制して」

などと全体の足並みを揃え線引きをする、リーダーシップが必要です。

 

日本を含む先進国の法律だと、リーダー役を担うのは主に行政です。

ただ、行政はリーダーといえども独裁者ではありません。

例えば、漁業現場や、漁業地域の政治家から

「漁獲を抑えたら漁村の収入が減る」

「漁獲を抑えても効果が出るか分からない」

と訴える時に、無視できません。

そもそも肝心の漁業現場が「魚が増えて漁業のためになるように、

獲り控えをしよう!」ではなく「行政の押し付けで獲り控えさせられる…」

と思うなら不幸だし、獲り控えに協力しない漁業者も増えるかも知れない。

 

だからこそ、これまで書いてきた通り行政自身が

客観的に、そして透明性を持って「これだけ獲り控えたら上手くいきそう」、

関係者の減収などの痛みに「こう対策するよ」と説明するのが大切です。

 

そして行政だけじゃなく、世論も重要です。

最近ではネット上なんかで「日本は魚を獲り控えて資源を回復させるべき」

なんて発信も増えてきていますし、発信にある程度客観的根拠があることも多い。

ただ、その言い方がちょっと乱暴なこともあります。

「日本は後進国」みたいな、ちょっと攻撃的な表現を使っていたり、

ある特定の漁法ばかりに焦点を当てて「彼らが悪い」と偏っていたりです。


偏った攻撃をされた人は「いじめられた、漁業規制を訴える奴は敵だ」と

感じてしまいます。いじめられたと感じた漁業関係者が政治サイドに

「漁業規制に反対してよ」と訴えていけば、感情的が対立して
規制反対の漁業者・政治家VS規制賛成の世論・行政などと割れかねない。
感情の対立は「実際に漁業や水産をどうすべきか」という冷静な議論を阻みます。

 

もちろん、本当に獲り過ぎている漁業や本当に二酸化炭素を出している企業に
世論が「やり過ぎないでよ」と
訴えることは時に必要でしょうが、

客観性の高い訴えを、

かつ極力トゲのない表現でしないと、訴えが誹謗中傷になって問題解決を邪魔しかねない

特に、年配者に環境対策を求める若者は、気を付けるべきでしょう。

 

・・・

 

6.「老害」と雑に括らない

 

最近、若者の間で「老害」という言葉が流行っていますね。

確かに「老害と呼びたくなってしまう人がいる」という気持ちは分かります。

でも、気に食わない年配者皆に「老害」のレッテルを貼るのはどうでしょう。

年配者の若者嫌いの感情的が加速しかねません。

 

たぶん、老害と呼ばれてしまう方々の本質的な問題は、4.に書いたような

「的確な指摘でも、気に入らなければ聞かない」態度を取るという事。

そして1.のように「若者に(理屈の合わない)同調圧力をかける」ことです。

つまり「若者からの異論でも、的確なら聞く」「理不尽は押し付けない」

という態度が取れる年配の方は尊敬すべきです。


だから、僕たち若い世代がするべきは、たぶん

「年配者への誹謗中傷をせず、ただし理不尽な同調圧力にイエスも言わず、

真摯に『未来のための変化はお願いする』」ことじゃないでしょうか。


理不尽な年配の方が一定数いらっしゃるのも現実かも知れませんが、

そうでない方も多くいらっしゃいます。そういう年配者の皆さんを若者が

尊敬し仲良くできれば、きっと「環境を未来に残して」という訴えにも

力を貸していただきやすくなります。例えば、年配の漁師さんが

「この漁法を止めろというのは飲めないけど、禁漁をこれだけ延ばすなら

できるよ」と、話に入ってくれることもあるかも知れません。

そうしていけば、環境問題含め「今のやり方を変えませんか」と訴える人が、

周囲から「揉め事を起こして面倒」ではなく、

「勇気を出して訴えてくれてありがたい」と見られ、応援されやすくなるはずです。

 

「アダルトチルドレン」という言葉がありますが、多くの若者が

その逆を目指せれば、と思うのです。

若くても年配者の気持ちや立場を考える思慮深さがある、

でも、現状の問題を見て見ぬふりして先送りすることもなく

年配の方々と協力関係をつくってしまうような若者。そういう人を

「相手を論破できる人より、問題解決に貢献してくれる!カッコいい!」と

評して後押しするような空気ができればな、と感じます。

 

・・・

 

7.「聞ける勇気」のカッコ良さ

 

「若者が論破ではなく協力関係を目指せる」ことに加え、

「年配者が「聞く耳を持てること」も、評価されたらと思います。

 

「若者がこれだけ真摯に向き合ってくれているのだから、

年配者も聞く耳を持ち、考え方をアップデートするべきだ」とか

「年を取っても考えをアップデートできる柔軟性を保てたら素敵」とか

そういう機運がつくれたらハッピーじゃないでしょうか。

 

もちろん、近年(4.のように)「聞く耳のない人」が評価されることは多い。

例では「他人の漁法を貶して自分の漁法に枠を求める人」を描きましたが、

他にも「国内の諸問題をやたら移民のせいにする欧州の政治家」とか

「自国の会社の責任を認めず温暖化を陰謀論で片付ける大統領」とか、

そういう人が支持を伸ばしました。
でも、自らの誤りを認めず他人だけ責めていても、何も解決しません。

やっぱり問題を先送りして、傷口を広げてしまいます。

 

温暖化対策なら「ウチの国より二酸化炭素を出してる中国を責めろ」じゃなく

「中国さん、これだけ二酸化炭素減らしてよ。え?ウチは中国より1人当りの

二酸化炭素排出が多いって?分かった、ウチも少し頑張るよ」とか。

ただ利害の合わない相手を非難するんじゃなく、相手の意見を聞きつつ

「協力してあげるか」と思わせるような態度を取る方が、派手さはなくても

実際の問題解決に近づけるはず。

誹謗中傷をしたり、自分の誤りを認めず誤魔化したりしてまで相手を
「論破する」よりも、自分への異論を聞き入れた上で、考えや行動を

「アップデートする」方が、より多くの人のため、より先の未来のために
プラスになる。そういう人がもっと支持されて良い、と筆者は訴えます。

 

・・・

 

8.勝ち負けより、アップデート

 

環境問題がいよいよ目に見えてきているのに、

(5.~6.のような)「優しく問題提起をする勇気」を持てない若者や、

(7.のような)「聞く勇気」を持てない年配者が多い今の世界。

「話合いが勝ち負けだと思われている」せいじゃないでしょうか。

 

もちろん、勝ち負けの要素はあります。

世界で「漁獲枠を決めよう」「二酸化炭素の放出上限枠をつくろう」としたら

どの国も「ウチの国の枠を多く、ヨソの枠を少なく」しようと交渉します。

枠を多く獲った国は勝者ということになるでしょう。

だから、勝てる(人を論破できる、不都合な話を聞かず自己主張する)人が

派手に目立ったり、ヒーロー視されたりするのも一理あります。

 

ただ(4.で書いたように)、自分が交渉で勝つことだけを目的にして

「不都合な意見は受け付けない」という人が多いと、対話は前に進まない。

すると

環境は悪化し続け、食糧は獲れなくなり、奪いが起き、

秩序がなくなり、世界中皆が敗者となる危険が出てくる

目の前の勝ち負けばかりこだわっていると、もっと大きなものを失うでしょう。
 

だから、筆者は最後に、再度強調します。

論破しに行く人より、聞く耳を持てる人。

聞く耳を持ち、より正しい情報を集め、知恵をアップデートできる人。

知恵を生かし、行動をまでアップデートできる人。

そういう人がいなきゃ、未来の環境も経済も社会も守れない。

そういう人たちのカッコよさを認めて、応援しようよ。
アップデートが必要と「モノ申す勇気」と、モノ申されたときに「聞ける勇気」を広めようよ。

特に数十年後の未来を生きなきゃいけない、僕たち若者はさ…と。

僕の知る限り、これからも人間が海の恵みを得続けるには、行動を変える必要がありそうです。

でも、行動を変えることって、やっぱり面倒だし抵抗感があるもの。

じゃあ、その抵抗感を超えていくためのカギは何でしょうか。

 

もちろん「海や自然がどれくらいピンチか証明すること」とか、

「面倒な対策をやってくれる人に埋め合わせをすること」もあるんですが、

一番は、話合いのしやすい風通しの良い空気をつくること。

 

もっと言うと「若者が問題提起する勇気を持つこと」

「大人が問題提起に耳を貸す勇気を持つこと」

「勇気をもってやり方を改善するのはカッコいい、という空気をつくること」

そうして皆が気兼ねなく本音と知恵を出し合える、

風通しの良い気風をつくることなんじゃないかな、と思っています。

 

・こんな人向けのお話です
老害的な人に腹を立てている」
「環境問題や貧困に対策をしたいが、目上の人に反対されてしまう」
「意見の違う相手も、論破すれば良いってものではないと思う」

 

主な内容

1.若者と大人の不一致

2.若者が問題提起を

3. 立場の違いを整理する

4.整理を阻む「聞かない」態度

5.「優しく」問題提起する勇気を

6.「老害」と雑に括らない

7.「聞ける勇気」のカッコ良さ

8.勝ち負けより、アップデート

 

・・・・・・・

 

1.若者と大人の不一致以前の話のおさらい)

 

環境問題(や貧困)の対策が弱いと未来の経済や社会が痛みます。

つまり、未来を生きなきゃいけない若者や子供たちが苦しむ。

ただ、環境問題や貧困への対策、例えば二酸化炭素を出さないとか

魚を獲り控えるとか、そういうことを急ぎ過ぎると、

目先の、特に先進国の経済は弱るし、失業などの社会問題も起きます。

 

だから、目先の経済や社会を守りつつ、

でも環境問題にも対応していくというバランスが大切です。

 

だけど今、環境、特に日本の海を守る議論は、

目の前の経済を守る議論よりも軽く捉えられやすい…

というか「綺麗事だ、うさん臭い」と引かれてしまうことも多くないでしょうか。

 

とはいえ、ある意味で当たり前ですよね。

まず、人間と言うのは目先の欲が強いもの。

目の前に楽しいことがあれば嫌なことを後回しにします(僕自身もです)。

将来より目先のお金を重んじる傾向は、学術的にも示されています。

 

それに猛暑日が増え、魚が減り、などの環境悪化が

先進国の人にすら深刻に影響しだしたのは最近のこと。

それまでは「どんどん働いて(活動して)経済的に成長しましょう」

「他国に負けないように成長して、欲しいものを沢山買いましょう」

というのが、社会やその人自身を豊かにする“正義”でした。

 

そんな中、急に「経済活動しすぎたら環境がダメになります」

「二酸化炭素を出し過ぎず、魚を獲り過ぎずにいましょう」となってきたから、

言われた側は何が“正義”なんだか分からなくなる。そして人情として

「自分のやってきたことを批判された」

「やり方を変えたら、自分が間違っていたと証明してしまう気がする」

とも思う。自分のやり方を批判的に見るのは、誰にだって辛いものです。

 

特に、ある程度歳を重ねた人が、そうなることは責められません。

長く生きてキャリアに誇りを持つと、より

「ずっと頑張ってきたことを批判的に言われるのは辛い」と

なりやすいように見えます。

それに、そもそも自分が何十年後の未来を生きるという実感が薄いと、

「未来のために環境を守ろう」という言葉にも共感しづらいでしょう。

 

特に、年上の人に従おう、周りの空気を読もう、という文化の強い日本。

「環境問題なんて提起したら年配者と揉めかねない、白い目で見られる」

「問題を見て見ぬフリしよう」と、風通しの悪い空気になることもあります。

「周りやネットに『環境対策反対』って意見が多いから合わせておこう」とか、

そういう人もいるでしょう。

 

だからこそ、

若い水産関係者から「魚を獲り過ぎず資源を守りたいけど、

表立って言えない空気がある」的な嘆きが、沢山聞こえる

のでしょう。

 

・・・

 

2.若者が問題提起を

 

ただ、温暖化にせよ、魚の獲り過ぎにせよ、

問題を見て見ぬふりで先送りすることは、

揉め事を避けているようで、むしろ揉め事や苦しみを大きくしてしまいます。

 

温度が上がれば後戻りは難しく、猛暑や干ばつ、食糧難、

山火事が起きやすくなっていってしまう。

魚が減れば減るだけ、回復のためにかかる時間がかかり

不漁が長引き、水産業者も消費者も苦しむ。

苦しみが強くなればなるだけ、「お前のせいだ、責任を取れ」

「魚が減ったのはあの国のせい、あいつらだけ規制してくれ」

などの言い合いは増え、激化やしやすくなります。

 

だから、環境対策の手を打つのは、早めにしたいということになります。

「打った瞬間には痛みがある、だけど後の致命傷を避けてくれる」

という意味では、予防注射に近い考えですね。

特に、環境悪化のダメージを食いやすい若者は、率先して

「手を打とうよ」と声を上げ、対策していく必要があるでしょう。

 

・・・

 

3. 立場の違いを整理する

 

例え話ですが、漁法Aと漁法Bが同じ種類の魚を獲るとしましょう。

漁法Aには小さな漁船が100隻いて、1㌧ずつ計100㌧を獲っている。

漁法Bでは、大きな船1隻で100㌧獲っています。

そんな中、その魚が乱獲で減っていると分かり、漁獲制限をするとします。

 

漁法Aの関係者は言います。

「俺たちは1隻で1㌧しか獲らないから、1匹1匹丁寧に処理して美味しく出せる!

しかも漁船が小さいせいで、他の魚種を狙って他所の海域に出られないし、

漁船数が多いから、規制されたら苦しむ漁師が多い!

俺たちじゃなく、漁法Bを規制すべきだ!」

 

漁法Bの関係者は反論します。

「俺たちは1隻だけで100㌧獲るから、コストも魚の値段も安く済む!

しかも安く魚を出すから多くの加工流通業者と消費者を支えている。

規制されたら加工流通業者まで苦しむ!

むしろ漁法Aを厳しく規制すべきだ!」

 

AとB、どちらが正義でしょうか?

正解はありません。どちらにも一理あります。

だからこそ、「どちらをどれだけ規制するか」を

話し合って決めていく必要があります。

 

AとBで冷静に話し合えれば、双方にメリットのある決着はあり得ます。

例えば「資源が少ないうちには、他の魚種を狙いに行けない漁法Aに

厳しい規制はしない。ただ、漁法Bを厳しくしてここまで資源が回復したら、

今度は漁法Bの規制を優先して緩める」とかです。

こういう調整は「他の魚を狙えないVS狙える」と言う風に、お互いの

立場がどう違うのかを整理するからこそ出来ることです。

 

・・・

 

4.整理を阻む「聞かない」態度

 

しかし、この「立場の整理」も難しく、勇気を要することです。

整理をする人は必ず責められるからです。

例えばメディアが「獲り過ぎが起きているので、手を打つべきでは。

漁法Aにはこういう良い所とああいう問題がある」と問題を

定期し整理すると、漁法Aの関係者が「俺たちが問題と言うつもりか」、

Bの関係者が「Aの良い所を言って肩を持つのか」怒ってしまったりします。

 

AもBも、お互いに大切な人を守ろうと必死なのですから、

感情的になることは責められません。

ただし、それが高じて「聞かない」態度に固まってしまうとしたら問題です。

 

例えば漁法Aの関係者が「この科学者は漁法Bの乱獲が悪いと言っている」

と科学を引用しておきながら、別の科学者に「Aの乱獲も問題」と言われた

途端に「科学が正しい保証なんてない」

「自分の専門じゃないから分からない」などと誤魔化したり

「この学者はこういう陰謀を持っていそうだから信用せん」と誹謗中傷したり

聞く耳を貸さないとしたらどうでしょう。

 

「聞かない」態度というのは、身内からは好かれやすいです。

耳の痛い指摘を跳ね除けて、身内を守ってくれる。

そういう言動が「我々に寄り添ってくれる」と好かれていく。

でも、これで支持してくれるのはあくまで身内。

身内以外を相手に、客観的な根拠も代替案もなく、ただ気に食わない

意見を排除していれば、話し合いはストップしてしまいます。

 

漁法Aと漁法Bの例でも、話し合いがストップすれば、

お互いに「相手にも相手なりに守りたい人がいる」

「相手の理屈にも一理ある」と気づく機会がなくなります。

「相手が厳しい規制を受けるべき、我々は被害者」と考え続けるでしょう。

でも、海がつながっている以上お互いが協力しなければ魚は増えません。

そこで待っているのは、例えば

「AもBも納得しないので、十分な獲り控え策が入らない」

「行政に『AもBも規制』と言われて、双方、不本意な規制を押し付けられる」

などの展開です。不本意な規則なら、裏で破る人も増えかねません。

それで魚が増えなければ、AもBも両方苦しむことになってしまいます。

 

つまり、「聞かない」態度は、廻りまわって本人たちまで苦しめやすい。

漁業だけじゃなく二酸化炭素や海洋プラスチックの排出、

色々な環境問題に言えることです。

 

「聞かない」態度の素になりがちなのが〝知識マウント〟です。例えば

学者が難しい数式だけ出して「魚が減ったのに漁師が理解しない」と考え、

漁業関係者が「漁業現場も知らないくせに」と学者の陰口を言うとします。

お互いが「お前は無知だからこちらの言うことを聴け」的に考えているので、

相手の言っていることを十分理解しないまま聞く耳を閉じてしまうでしょう。

こういう知識マウントで「アイツは何々を知らない」とか、もっと言うと

「学歴が~」「勤務年数が~」「前に誰々を批判した〝反誰々〟だから~」

とか、根拠不足のレッテルを貼って聞く耳を閉ざしてしまったりする。

 

確かに人には聞く耳を閉ざす心理がありますが、

それを意識するのが大事ではないでしょうか。

人それぞれ、持つ知識・得意分野が違うのは当たり前。

相手にも専門分野があると意識し聞く耳を持つことで、対話が始まります。

 

もちろん、海や自然環境は広大過ぎますし、

「プロの知識も正しいとは限らない、実態は人知で分からない」という

謙虚さはとても大切です。「分からない」こと自体は仕方ない。

ですが、分かる度合を上げるには人々の知恵を集めるしかありません。

都合の悪い時でも、知恵に最低限「聞く耳だけは貸す」態度が大切です。

いや、すみません。
先日は取り乱しました…
新漁業法を必要以上にこき下ろすご意見に、けっこうブチ切れてしまいました。

ただ、おかしなことを言っていないとは今も思ってます。
新しい漁業法って、使い方さえ間違えなければ、
海の環境を良くして、漁獲や養殖を増やしていくのに、役立ちますからね。

もちろん「使い方を間違えないため」の批判なら、どんどんすればいいです
(実例が気になる方は先日の投稿をご参照のこと)。

しかし、必要なのは誹謗中傷じゃないだろうと。
ちゃんとした根拠と提案のある、そして人を極力こき下ろさない、
前向きな「批判」をしてくれよと。

・・・

で、どちらにも一理はある。

でも、一理だけなんです。意見は人によって違うし、それぞれに長短所がある。
「完全に正しい人」も「完全無欠の政策」も、存在しない。
だから、せめて双方を「良いとこ取り」をするしかない。
良いとこ取りで得する人を増やし、損する人を減らさなきゃ、
多くの人には納得・協力される形にならない。

国の水産改革は良いとこ取りを目指すものだよ…っていうのが先日のお話でしたが、
僕ら報道記者の使命も、そういうところかなって思います。

もちろん、良いとこ取りをしようとすると、敵認定されますよ。
「お前は論敵の意見を書いたな、あいつ寄りなんだな!」って。
それは辛いです。

そんなことをしなくても、
敵視されそうな話題を避けていれば嫌われないし、
声の大きな人に合わせていれば守ってもらえます。

それでも、保守論も革新論も、両方を学んで書いて。
保守的な人から「欧米や環境団体の手先」とか汚名を着せられ、
革新的な人から「日本政府の御用記者」とか罵声を浴び、
板挟みされるのも記者だろうと。

そうじゃなきゃ、報道が広報になっちゃいます。
結局、声の大きな人の意見ばっかりスポットを浴びて、
目の前の問題が、泣いている人たちが、見て見ぬふりされ続けちゃいます。

・・・

報道を志した以上、「板挟まれのプロ」になるしかない。
そこまでは覚悟してます。
でもね、どうせ板挟みに遭うなら、意味のある板挟みにして欲しいんですよ。

保守も革新も、大いに言い合ってくれて良い。
だけど、憶測とか人格攻撃でこき下ろし合うだけで、論破を気取っちゃうとか何事ですか。
ちゃんとした根拠と提案を持って、堂々と論敵に挑んでください。
「こういう理由があるから、こうした方が世の中が良くなる」と示してください。

論敵からは耳の痛いツッコミや、不都合なデータが来ます。
聞きたくないですよね。
話を逸らしたり、小難しい言葉で誤魔化したり、根拠なく否定したりしたいですよね。
でも、聞いてください。
あなたが誤魔化そうと拒もうと、魚が少ないという分析は出てしまっている。
別のあなたが耳を塞ごうとキレようと、日本のやり方に良い部分はたくさんある。
そこに言い返せるだけの根拠も対案も持っていないなら、聞いてください。

若い漁師さんたちとか科学者たち、その他官からも民からも、
「正論すら聞いてもらえない」って嘆きが止まらんのです。
結論ありきでご都合主義の大きな声に、正論がかき消されるって。
そりゃズルいですよ、(左右問わず)声の大きな皆様。

意見を言う以上、正しい反論は聞き入れてください。
じゃなきゃ、「良いとこ取り」になりません。
僕らは板挟まれ損です。ふざけんな。

あーあーあー、結局ちょっと怒気を帯びてしまいましたね。
前回ほどじゃないですが、気を遣わず書いたせいです(その香水のせいじゃないです)。
でも、普段の文章より読みやすいかもとか思ったり。

とにかく!メディアにも国にも、もっと実のある批判を!!待ってます!!!

「いや、ヘタしたら命かかってるし(←HEROのキムタク風)」
今の世界を見ていて、思わずつぶやいてしまいそうです。

どうも、近年の世界では、環境問題や貧困の解消を訴える“優等生”的な人と、そこに反感を持つ人が分断されがちだからです。
反感は「偉そうだし、うさん臭い」
「優等生が正義ぶって対策すると、俺たちが経済的に損するんだよ」というような感じ。

先進国のリーダーからも「環境対策とかを重んじる人たちが力を持つと、日本やアメリカの経済が規制されるし中国が得をする。中国のための陰謀を止めろ」と、人の分断をあおる声が目につきます。
確かに、経済や中国の問題を心配するのも大切ですが…
「ちょっと乱暴すぎない?」とツッコまざるを得ません。

そもそも、環境問題や貧困の解消って、「正義」の象徴みたいに思われがちですが…本当はそれだけじゃない。
環境問題や貧困にちゃんとした対策をしなければ、世界の人口が増え続ける中、食糧などの資源の取り合いが起きかねない
筆者自身も、取材や旅を通し、この危険を痛感しています。

僕ら日本の庶民も「明日食べる物があるか、身内が暴力にさらされないか」に怯えることになりかねない。
「またまた大げさな」とか言う方も多いかも知れませんが…無視できない確率でそうなると思いますし、近い訴えは他の人からも出てきています。

環境や貧困層を守ることは「正義」ごっこというより、未来の社会や経済を守る「生存戦略」ということです。
「優等生の“正義”は(目先の)経済の敵」という一方的な見方ではなく「目の前の問題(経済や敵対国の増長)を疎かにしちゃいけないけど、未来の問題(環境問題や貧困の対策)も考えよう」という広い視野が必要なはずです。

最近まで、自分たちの生活を守る手段としては
「敵役を倒す(売れる商品をつくってライバル企業を出し抜く、他国に経済戦争や軍事で勝つ)」
競争が主でした。でも、競争の副作用で環境問題や貧困が問題となった今、
「世界で協力して問題を解消する」共生と共創が、より大切になってきています。

もし、敵役たる国や人を、感情として好きになれないとしても…
「嫌いだから無視、攻撃」で、相手との分断を深めるべきではない。
分断を繰り返していては、戦争の愚すらも、繰り返しかねない。
「嫌いでも、必要な場面では耳を貸し協力する」という態度が、
若者が未来を生きるため、命をつなぐためには重要になる。そう筆者は訴えます。

・主な内容
1.僕たちが受け得る痛み
 1.1.食えないから奪い合う
 1.2.環境問題と食糧不足
 1.3.国境を超える貧困
2.痛みの大きさ×不確実性
3.仲間を守りたいから、敵役とも組む

・こんな人向けのお話です
「環境問題や貧困への対策がなぜ必要か分からない」
「環境問題や貧困に対策が必要だと思うけど、必要性を他人にどう説明すればいいか分からない」
「国連のSDGsに興味がある」

・・・・・・・

1.僕たちが受ける痛み

1.1.食えないから奪い合う

そもそも荒廃した社会ってどんな感じだと思いますか?
筆者が意味しているのは、住民の多数派が
「食べる物がなくならないか、身内が暴力にさらされないか」に怯える社会です。

実際、そういう社会は今もあります。筆者の行った中では、南アフリカのスラム街。
警察と比べて強盗が多すぎて、金品を持って出歩くこともできません。
流しのタクシーに乗るなら「さらわれるかも」と怯えないといけません。
警備員とオリのついた建物でないと、安心して泊まることもできません。
筆者はいつ襲われても良いように、ダミーの財布や携帯を持って出歩いていました。
洒落にならない略奪の世界です。リアル北斗の拳です(いや、筆者は読者世代じゃないですけど)。
似た状況の街は、ベネズエラのカラカスとか、世界に点在しているようです。

こういう社会がなぜ生まれるのか。東南アジアなども含め、筆者の行ったスラム街では
貧困層に「教育がない→仕事がない→衣食住が賄えない→罪を犯してでも食いぶちを稼ぐ」
というスパイラルがあると、共通して聞かれました。
違法漁業について調べた時も多く聞かれたのですが
本当は犯罪なんかしたくなくても、自分や家族が生きるため仕方なく…というパターンです。

こういう話を聞くと、多くの日本人は「教育や働き口や食糧の足りない途上国の話」
「他人事だよ」と感じるでしょう。今の時点ではその通りです。

でも、近い将来、こういう事態は僕たちの身に降りかかりかねません。

・・・

1.2.環境問題と食糧不足

先進国でも、災害などで食糧の不足した時には暴動や略奪が起きる…というニュースを、観たことのある人は多いでしょう。
欧米の都市の分析でも、失業率が高いとか貧困率が高い、食いぶちを稼げない人が多いほど、犯罪発生率が高いということが指摘されています。
人は職や衣食住、特に食がなければ生活できないのです。

そして、食糧不足は現実的な恐怖になりつつあります。
まず、日本周辺では魚が獲れなくなっています。こういうことが、もっと深刻化する危険がある。
魚の獲れない理由でよく挙がるのが「漁師さんが減った」「獲り過ぎで資源が減った」。
確かにこれらは大きな問題なのですが、それだけなら、食糧不足の危険は強くありません。
漁師さんを増やしたり獲り過ぎを止めたりは、後からある程度できるからです。
でも、そうそう後戻りできないことが、恐らく、もう起き始めている。

後戻りできないこととは、温暖化や海の酸性化、プラスチックごみ問題などです。
プラごみの問題が海の生態系に与える影響はまだまだ研究途上ですが、温暖化の影響はもう出ています。
研究者に聞いても、筆者の経験と照らしても、近年は温暖化で魚の生息域が変わって
造礁サンゴは死んでいる数十年以内に、サンゴが地球から9割消える可能性すらある)。
水温が変わったせいで深海から表層への栄養分の湧昇が止まれば、魚の餌となるプランクトンが
足りなくなってしまうという恐れもある。
さらにスルメイカの減少の引き金として、水温悪化から卵や仔稚魚の大量死があったという分析もある。

「温暖化なんて1~2度の話でしょ?一部の生き物が絶滅するとしても人の生活には関係ない」
なんて、けっこう高学歴な層から聞くことも多いんですが…とんでもないです。
哺乳類のような一部の生き物以外は、体温を自分で調整できない。
つまり「温度が2度上がる=体温が2度上がる」です。
平熱36度の人の体温が常時38度まで上がってしまったら、長生きできるでしょうか?

実際、スルメの漁獲は5年前から7割減、サンマは12年前から9割減。
どちらも獲り過ぎで資源が減っているという説はありますが、日本政府の研究者からよく聞かれる(そして筆者自身も最も的確だと考える)分析は「もともと水温などの環境要因で母数が激減していたところに、漁業規制の不足で追い打ちをかけてしまった」というもの。
漁業分野だけでも、2050年までに年間1兆円以上の損失が生まれるという予測があります。
それにサンゴ礁が消えるだけでも、百万人単位の人の働き口や食糧が脅かされ
それによる経済的な損失は約9兆円という試算もあります。2020.1-2

しかも、温暖化の恐ろしさは海のことだけでない。1番の危険は農業の不安定化です。
単に暑くなるだけでなく、気候が変わることで風や海流、雨の降り方が変わって、
土地も水没で減る。日本を含め、食糧不足が起きることも、現実味を増しています。

もちろん、温暖化でこれまで食糧の育たなかった寒い場所での生産は増えるかも知れません。
現に、ロシアの冷たい海には、これまで来なかったスルメが温暖化のせいで上がってきています。
「温暖化しても、ロシアで農業が育つから大丈夫」という人もいます。
ただ、今の時点で、十分な食糧が育つ保証もなければ、準備(漁港設備をつくったり土を耕したり)を整える数年間に食糧をどう確保するかのプランも共有されていない。もう少し対策が必要でしょう。

完全に温暖化を止めることができないとしても、少しでも進行を遅らせれば、
生物側に暑さに適応した遺伝子が現れて生き残ったり、人間側が対応を準備したり、
そういうを時間を稼げる期待があります。

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1.3.国境を超える貧困

温暖化や食糧不足が深刻化するなら、たぶん、最初に大きな痛みを食うのは熱帯の国です。
すでに暑い環境がさらに暑くなる。するとサンゴのように「暑さに強いとされてきた生物」ですら、
過去に体験していないほどの暑さにさらされ、死んでいく。
例えばサンゴ礁が消えれば、そこで育つ魚も減り、漁獲に響きます。

しかも、熱帯には、教育や雇用の行き届いていない途上国が多いです。
すると、1.1のようなスラム化が起きやすい。そこで職業や衣食住を得られなかった人は、
移民となり都市部や先進国に生きる道を求めるでしょう。

今、先進国の人が移民を一方的に批判する流れもありますが、もう少し相手目線が必要でしょう。
途上国の貧困層の人の目線からすれば、「先進国が自分たちを搾取したせいで貧困が起きた」という
意識もありますし、そもそも家族の生活を守らなければいけないとなれば、仕事が多く給料も高く
衣食住の満たせそうな国の都市へと、(不法入国など)無理をしても移り住むものです。
これが避けられないのは、アメリカやEUに移民が入り続けている現状を見れば明らか。

そしてお金のある国の都市になら一定数のお金持ちがいます。
余裕のない貧困層が富める人を目の当たりにすれば、腹も立つし奪ってやりたくもなるのでしょう。
僕の旅した中で治安や雰囲気が極端に悪いと感じた街は、どこも貧富の差が激しい都市部でした。

つまり、温暖化や食糧不足の痛みは「途上国から先進国、貧困層から富裕層」と伝わっていく危険が強い。これは、上のような経験から、筆者が強く訴えたいことです。
島国の日本はある程度、移民が入りづらいかも知れませんが…食糧が不足して値上がりすれば、人口の割に食糧生産の少ない国だけに、食べ物に苦労しやすくなります

もちろん、実際にどれだけの不足や値上がりが起きるか、予測は難しいです。今のところは「30年後に穀物価格が2~3割上がるかも」くらいの予測ですが、そうなった時にどの地域が大きな被害を受けるか、その地域にどれだけの貧困層がいるか、誰と誰がどれだけの規模で揉めるか…などによって、実際に起きる被害は変わります。

間違いなく言えるのは、このままなら1日3食摂れない、食べるのに手いっぱいで教育が受けられない…そんな人の割合が、世界に増えるだろうということ。
さらに行き過ぎれば「富裕層の警備員つきの住宅街以外、暴力に怯えながら生きる」みたいな地域だって出てくるかもしれません。
資源の奪い合いと感情的な分断が国家間の戦いに発展したり、口減らし(人口抑制、安楽死、生物兵器などもっと酷いことも…)が現実になったりする可能性も否定できない。

裏返せば、環境問題や貧困を解決することは、僕たち自身の生活を守ることにつながります。
だからこそ、ある程度傷の浅い今のうちから環境や貧困と真剣に向き合う必要がある。
国連がSDGs(持続可能な開発目標)で環境問題や貧困、教育格差をなくそうとする意義は、こういうところにあるのです。

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2.痛みの大きさ×不確実性

一方で、「環境問題や貧困を解消すると損をする」という声も多くあります。

実際、環境問題や貧困に対策すると「目先」の経済には副作用があります。
例えば、対策の費用を賄うために税金を高くしたり、環境を壊すビジネスや貧困層を安く長時間
使うビジネスを制限したりしなければいけないかもしれない。
すると、企業の出費が増えるから、経済がしばらく鈍る。
これも行き過ぎたら怖いので、「(目先の)経済を壊すな」という視点が、時に大切です。

ただ、目先への注目が行き過ぎていないでしょうか。
アメリカでは、教育水準やSDGs的な意識の高い“優等生的な”州に、そうでない“大衆的な”州が反感を持ち「環境問題はフェイクニュースだ」「アメリカ経済の邪魔をする途上国からの移民は追い出せ」と叫ぶ。そして、国内が分断されているというフシがあります。
それどころか「温暖化対策をしてアメリカの経済が鈍れば、中国が得をする」
「グレタ氏の訴える温暖化対策は、中国を利するための陰謀」的に、
人の敵対心を煽り、分断させるような発信がネット上などで視聴回数を稼いでいます。

かつての日本でも、優等生的な「海の生き物の獲り過ぎを科学的に防ごう」という漁業改革論に対して、漁業関係者の間に「自分たちのやり方を批判する気か」「漁業者を経済的に追い詰める気か」との空気が生まれ、両者が分断し、資源の減少や対策の遅れ、漁獲の衰退につながったきらいがあります。

人の敵対心を煽り、視点を目先の問題(向こう数カ月の経済、中国など)に縛り付ければ、未来の問題(環境や貧困、それによる社会と経済の混乱)を考える発想を奪ってしまう。
それどころか、未来の問題を訴える人間への攻撃すら始まって、対策をつぶしてしまう
(さらに万一、大規模な戦争になんてなったら、農場や漁場、資源を余計につぶし合います)。

環境問題や貧困が僕たちに直接効いてくるのは未来のことで、どこまで高い確率でどれだけ大変なことが起きるのか、言い切れはしません。
それに特定の国だけに原因を求めて敵役にすることもできない。
ゆえに、人の感情にリアルに響きづらいし「予測なんて当てにならん」と軽んじられがちなのですが…

そもそも、温度の変化で気象条件や生物種の1つひとつがどう反応するか、結果として人間社会にどんな影響が出るかというのは、関わる要素が多すぎて確実な未来予測をするなんてできない。
不確実なのは前提として、その中で「現実的な未来予測は」「最悪の事態を避けるには」と考えるしかありません。

未来の問題が現実になった場合、1.のように大きな痛みがあるのですから、「予測が不確実だから」というのは、対策しない理由として不十分です。
まして問題提起自体を「陰謀」だとか「敵」だとか断じてしまうとしたら危険でしょう。

敵視までされない場面でも、環境や貧困について語る人が「正義だ、綺麗事だ、意識高い系だ、うさん臭い」と引かれてしまいがちな空気はないでしょうか。
本来、大事なのは、目先と未来、両方を頭に入れて「どうすれば目先の問題を極力起こさず、未来の問題も解決できるか」という話し合いです。「誰が敵なのか、誰がうさん臭いか」という一方的な視点ばかりでは、話し合いが進まなくなってしまいます。

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3.仲間を守りたいから、敵役とも組む

最近まで、人々の生活を豊かにして守っていくため
「敵役を倒す(売れる商品をつくってライバル企業を出し抜く、他国に経済戦争や軍事で勝つ)」
競争が大切でした。その感覚は今も根強いから、敵役を強く攻撃できる人が評価される。
でも、競争の副作用で環境問題や貧困が生まれ、僕たちを脅かしつつあります。敵役とも
お互いが死なないために攻撃を止める「共生」、そして課題を共有して一緒に解決する「共創」、
この2つをもう少し大切にする必要が出てきています。

環境問題にしろ貧困にしろ、多くの国や人が原因になっているので、
多くの国や人が協力しないと解決はできません。

現状、人と人・国と国の分断が進んでしまったことで、
多くの国は対策したフリと責任の押し付け合いをしています。温暖化1つ取っても
先進国は「ウチは(充分ではないけど表面上)対策している。中国やインドの発展が悪い」、
途上国は「長年大量の二酸化炭素を出し続けてきたのは先進国。厳しい対策は先進国の仕事」、
しまいにはトランプ氏が無根拠に「温暖化は嘘だ、アメリカ経済は自重しない」…ですから。

本当は、世界中の人が仲良くなって「私たちも頑張って対策するよ!」と言い合えるのが
理想なのかもしれませんが…それは簡単じゃありません。
人は身内を守ろうという善意で、他の国や集団に責任をかぶせてしまうクセを持つからです。
温暖化の責任を他国に、魚の減った責任を他産業に…と、身内以外を敵役にして責める。
こればかりは人情として、ある程度、やむを得ないです。

敵役の国や人を好きになるのは難しいですし、無理してそうする必要もないでしょう
他者や権力への不満や疑念は、持ち方次第でむしろ視野を広げてくれることもありますしね)。
ただ、環境問題でも貧困でも、痛みを被るのはお互い様。嫌いな者同士でも協調して、対処する場面は必要です。
そろそろ「嫌いなヤツの話は聞きたくない、協力しない」という感情任せの態度から卒業し、
「彼らは嫌いだけど、彼らは彼らなりに身内を守らなきゃいけないんだよな」と受け止め、嫌いな相手の意見も聞きながら対策をする時期のはずです。

多くの人で意見や知識を出し合えれば、「最悪、ここまで気温が上がってこんな悪影響が出る」
「魚を獲る量を減らさないとここまで海の生態系に影響し得る」
「最悪の状況になる可能性はこれくらい」「どの国の責任はどれくらい大きい」などと
客観的に(=敵役の知識や意見も採り入れつつ)考えて、
「ウチらはここまで自重するから、おたくはこれだけ頑張って」と責任分担できるし、
「頑張ってくれた国には貿易とかで特典をあげる」というギブ&テイクもできます。

こういう責任分担をして、足並みを揃えて問題解決する体制は、環境問題や貧困だけでなく、
感染症の拡大を防ぐことにもつながり、未来への備えとなります。

特に、未来の社会を生きなければいけない若者世代は、「共生」「共創」「責任分担」を
意識すべき時にきている。そう筆者は訴えます。

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