「海を守る」とかいう漠然とした言葉の意味を、おこがましくも考え続けるブログ

魚オタクの筆者が、「海を守ること」「より多くの人が海の恩恵を受けること」をテーマに、たくさんの人の知恵をつなげようというブログです。 科学的な目線、社会的な目線…色々な視点から、より多くの方と関われればと考えています。 ご賛同もご反論も、ドシドシお願いします! ブログの詳細はこちら http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/2690844.html ※あくまで個人的なブログです。所属する会社等とは無関係ですのでご注意ください。

カテゴリ:水産業 > 漁業

政府はこれから、減ってしまった水産資源を増やすために、漁業規制を強めていくと言っています。

その中で「獲り控えで資源量が回復する魚」もいれるでしょうが、「環境条件のせいで減っているだけなので回復しない魚」「環境条件を整えさえすれば回復する魚」も出てくると思われます。

また、現状の話し合いを見る限り「本当に獲り過ぎだと考えられるのに、漁業規制の反対論が強い」という魚もいます。

規制が無駄に強くなってしまうことも、増えるはずの資源が対策不足で回復しないことも、どちらも不幸です。
こんな事態を避けるため、どのような方法で魚の増減やその原因が考えられているのか、簡単に紹介してみます。

こうやって見てみると、さほど複雑なことをせず、単純なデータを集めてつなぎ合わせるだけで、意外と「この魚は明らかに獲り過ぎではないな」といった分析が、ある程度まではできるのです。
主な内容は以下の通りです。

①「漁獲の努力と資源、どちらが減ったのか」を調べる

②「明らかに漁業ではなく環境要因のせいで増減している」ことを示す
 ②.1卵や仔稚魚の生き残り率
 ②.2放流した魚の生き残り率

③「獲り過ぎ」「栄養不足」などを示す
 ③.1獲り過ぎていないか、自然死していないか、痩せていないか
 ③.2海にいるべき魚の量

④「獲り過ぎだとしたら、誰にどれだけ責任があるのか」示す
 ④.1誰が多く獲っているか
 ④.2誰が「何歳の魚を何尾」獲っているか

・・・・・・・

①「漁獲の努力と資源、どちらが減ったのか」を調べる
ある魚の漁獲が減ったというだけだと、減ったのは「魚そのもの」なのか「漁獲努力(出漁回数とか網を引く時間とか釣り針の数とか)」なのか分かりません。
なので、「1回の漁獲努力あたり平均どれだけ多くの魚が獲れたか(専門用語でCPUE)」の増減を調べます。この値が減れば魚自体が減っていると考えるわけです。

例えば琵琶湖のアユなどはCPUEが下がらず漁獲が減っているので「漁師さんの人数が減ったので漁獲も減ったのだろう」と考えられます。逆に、資源量が減ったと言われる魚の多くは、CPUEが下がっています
また伊勢湾三河湾のイカナゴは2015年の春にある程度資源がいたはずなのに、漁期終了後の夏の調査でCPUEが大幅に下がったことなどから「漁獲はないので、水温などのせいで大量死したのだろう」と考えられています。

・・・

②「明らかに漁業ではなく環境要因のせいで増減している」ことを示す
②.1卵や仔稚魚の生き残り率
魚は小さすぎると網や釣り針にほぼかかりません。かからないはずの子供の魚が死ぬとしたら、それは漁獲ではなく環境のせいだと考えられます。「漁獲対象に育った若魚の数が、親魚の量と比べてどれだけ多いか/少ないか(専門用語でRPS)」を見れば「環境のせいで、身体の弱い魚卵や仔稚魚が大量死したようだ」「環境が良くて魚卵や仔稚魚が多く生き残り、漁獲対象サイズの魚が大発生したようだ」というのが見えてきます。

例えば1990年代前半のマイワシや2010年代後半のスルメイカの激減は、RPS=環境条件が劇的に悪化したせいと見られます(ただし、激減した後に漁獲で追い打ちを受けて、それがさらなる減少につながっているという分析がマイワシにもスルメにもあります)。
逆に、獲り過ぎの状態だと見られていた(③参照)道北のホッケが3年前から増えているのは、RPS=環境条件が良かったからだと見られます。

裏返せば、卵や仔稚魚の生き残り率(RPS)を調べると、「水温が高い年にRPSが下がる」「近場の磯の面積が埋め立てで減って、RPSが下がった」という感じで、環境悪化が魚に与えた影響を考えることができます。
ただでさえ、これまで冷たかった海に温かい海の生き物が見られるようになるなど、明らかに水温などの環境は変わってきています。こうした研究を進めることが今後、大切でしょう。


②.2放流した魚の生き残り率
卵や仔稚魚以外でも、野生での生き残り率を調べる方法があります。水揚げされるサケはほとんど、産卵のために故郷の川に戻ろうとしている時に獲られるからです。多くの稚魚が川を下ったのに、4年後に元の川に戻ってくるサケが少ないとすれば、それは漁獲ではなく自然環境のせいで死んでいるとなります。サケが死んでいるのは北半球の至る所で起きているので、日米ロが原因調査を始めるかも知れないところです。
特に日本では、毎年ある程度のサケの稚魚を人口孵化して放流しているのに、帰ってくるサケが減っています。ということは、間違いなく何かしらの環境条件のせいで、サケが帰れなくなっているということです。極力多くの国とデータを出し合って原因究明することが大切でしょう。

・・・

③「獲り過ぎ」「栄養不足」などを示す
③.1獲り過ぎていないか、自然死していないか、痩せていないか
「漁獲努力当たりの平均漁獲量=CPUE(①参照)」の増減や、「どんな大きさ(年齢)の魚が何尾獲れたか」という漁獲記録、「この年齢の魚の大きさなら、1年間にどれだけの割合が自然死(野生生物に食われたり病死したり)するのか」などのデータを合わせて考えます。「3歳の魚なら自然界で年間5割くらいが生き残るはずなのに、2割しか生き残っていないようだ。3歳サイズの魚が多く獲られた記録もあるし、これは獲り過ぎだろうな」「4歳の魚の平均体重が例年よりも2割痩せている。海が栄養不足なのかもしれない」というような感じです。

こういう過程で「海に何トンの資源がいる」などの推定もします。推定に誤差が大きく、例えば「100万トンの資源がいそう」と推定していても、実際は50万トンだったり200万トンだったりとズレてしまう危険が大いにあります。ただし、実際に“漁獲努力当たりの平均漁獲量(①参照)”などを基にした値ではあるので「資源は増えていそう、減っていそう」という目安としては有効です。

現状だと、よほど元のデータが間違っていない限り、トラフグやキンメダイなどが、数年前までで言えばマサバ、クロマグロ、北海道北部のホッケ、日本海北部のスケトウダラなどが、獲り過ぎの状態だと考えられてきました。
裏返せば、漁獲記録やデータ類を取りそろえていけると「この魚種は獲り過ぎだと思われていたけどそうじゃなかった」などと反証していくこともできます。

今の時点で栄養不足と見られる魚に太平洋系のマサバがいます。最近は成長の遅い年が多く、恐らくエサが足りていません。大西洋のコククジラも痩せた個体が多く、エサ不足が心配されています。
浅海に栄養を運んでくれる深海からの沸き上がりの強さや河川の流れ、魚の餌となるプランクトンの発生状況などをもっと調べて、成長との関係性を見るべきでしょう。

ちなみに、今の分析の欠点に「情報の遅さ」があります。分析は、過去の漁獲データや調査データを整理してから行うので、「海に資源がどれだけいるか、そのうち何トン獲っても良いか」などの分析は2年くらい前のデータを基にしていることが普通です。このため、例えば「2年前には資源は減っていたけど、今は増えている」という場合に、資源の少なかった2年前のデータから少なめの漁獲枠(TAC)が計算されてしまう、ということが起きかねません。
これを避けるために、漁協などがパソコンなどに入力したデータをすぐに科学者に送ることで、リアルタイムの資源の状態を見えやすくしようという活動が大切になりそうです。


③.2海にいるべき魚の量
多くの場合「獲り過ぎ」が何を示すかというと「人間が魚を獲るペースが、魚の増える(産卵・成長する)ペースを超えてしまっている」ことです。
もっと言うと「資源の量が、本来海にいるべき量に足りていなくなってしまうだけ獲ってしまう」ことを指すのが、近年の傾向です。

何年経っても多くの漁獲を続けようというなら、必要なだけの卵(仔)を生みだせるだけの量の親魚が必要です。
十分な親魚量を海に保ちながら、何年間も持続的に獲り続けられる漁獲量を「最大持続生産量=MSY」と呼びます。「十分な親魚を残すことで長い目で見て漁獲を最大にしよう」という理論はMSY理論といいます。

この理論には批判が多いです。何故かというと、マイワシやマサバ、クロマグロ、ホッケなどは、環境次第で増えたり減ったりしやすく(②参照)、「親が多いのに子が大量死し、次世代の資源が少ししか発生しない」「親が少ないのに子世代が多く発生する」などの現象が起きやすい(親子の量の関係が薄い)からです。親魚の少ない年でも子が多く発生することがあるというと、漁獲を制限して親魚を海に残す必要もないことになります。

ただ、近年、この理論も使えそうだという意見が主流になっています。イカナゴやクロマグロなど親子関係の薄い魚種でも『親が一定より減ると子の加入量が減る』という傾向が示されるなど、最低限の親を守ることが子の発生(資源の維持回復)に必要視されつつあるからです。

最近は、環境変動で資源が大量死して回復しづらくなってしまうことを極力避けたり、資源が大発生してくれる可能性を上げたりするため「どの程度の親魚量を保つべきか」「親魚量を保つためにどれだけ漁獲を抑えるべきか」をコンピュータで計算するようになっています。

もちろん、コンピュータの計算にはある程度の誤りがあると見られます。ただ、計算に使うデータはどんどんアップデートできますし、具体的に「このラインまで資源を増やそう」という目標が数字になることで、「このラインまで資源が増えれば漁獲を加速して良い」というような計画をしやすくなります。必要なデータを集めていくことが、今後、大切になります。

・・・

④「獲り過ぎだとしたら、誰にどれだけ責任があるのか」示す
④.1誰が多く獲っているか
当たり前ですが、基本、たくさん獲っている漁業ほど、責任は重くなります。例えばスルメイカですが、これは完全に中国の違法漁船が獲り過ぎています。日韓を合わせたよりも漁獲が多いですから…
こういう状況の時は、国際的な漁業規制と監視を強めたり、不法物の水産物を禁輸したりと、無責任な獲り方をしている国にやり方を変えてもらう必要がありそうです。

ただし、気を付けなければいけないのは「誰々が悪いに決まっている」といった先入観です。例えば、日本や台湾が中国の何倍も獲っている(というか、そもそも環境要因に分布が左右されやすい)サンマについてまで「中国が獲ったせいで減ったんだ」的な報道が多くありますが、ちょっと無理筋です。

④.2誰が「何歳の魚を何尾」獲っているか
ただし、寿命が1~2年のスルメやサンマを考えるのは、ある意味簡単です。多くの魚はもっと長く生きるから、もう少し複雑な考えが必要です。
例えば、年老いた100キロのクロマグロを1尾だけ獲るのと、0歳で1キロのクロマグロを50尾獲るのでは、前者の方が漁獲量(キロ)は2倍多いですが、1尾しか獲っていないぶん資源には優しいです。

クロマグロやノドグロ(アカムツ)などは、大きくなるほど単価も上がっていく魚ので、基本的には大きくしてから獲る方が資源に優しく経済価値もあるのですが、高級魚として名を上げてからは小さな個体のいる漁場を狙う操業が増えたようです。こういう獲り方が資源や経済価値を損なっていないか、注意が必要です。

では、歳をとった大きな魚を獲るのが正解かというと、そうでない場合もあります。例えば身体の弱いシラスが海に100万尾いたとして、自然界で放っておいても成熟前に99.99万尾死んでしまうとします。どうせほとんど死んでしまうシラスを人間が何万尾か獲ったところで、大人のイワシに育つシラスの数はほとんど変わりません。むしろ、シラスが貴重な大人のイワシに育ったところを大量に獲ってしまう方が、資源に大きなダメージになることがあり得ます。

つまり「どの歳の魚がどの漁業に何尾ずつ獲られているか」を調べて、さらに「どの歳(サイズ)の魚が消費者に求められているか」「実際にその歳の魚を狙って獲ることはできるのか」なども頭に入れて「どの歳の魚を獲ると消費者が喜んで、かつ資源へのダメージが少なく済むのか」と考える必要があります。

ちなみに、魚種や漁獲サイズを選ぶ工夫というのは日本人の得意分野です。網目のサイズを規制したり、特定の歳の魚が集まる漁場を避けたり、そういう工夫が古くから根付いているからです。
こういう工夫を、客観的な検証をしながらさらに進めていけば「魚を獲ること」と「魚を次世代に残すこと」は、かなり両立できるでしょう。

・・・・・・・

こうやって考え続けていくと、それぞれの海域や魚種について「資源は減っているのか、原因は獲り過ぎなのか、どう対応すればいいのか」の答えがある程度まであぶり出せます。

逆にここ数年は逆に明らかに獲り過ぎではないであろう魚(①のイカナゴなど)にまで「乱獲だ」と決めつけてしまう発信が増えたように見えます。

それと日本の場合、そもそもデータの取られてこなかった魚種も多のですが、データの足りない状態で「この魚もどうせ乱獲に決まっている」「どうせ乱獲ではないはずだ」という感じに決めつける議論も多いです。

よくある決めつけを整理すると
1.複数の事例を一緒くたにする(例「伊勢三河湾のイカナゴは乱獲では恐らくないが、他海域のイカナゴで乱獲が疑われる群がいる」ではなく「イカナゴ(全体)は乱獲状態」と拡大解釈する)

2.十分な根拠を挙げない(例「ウナギはデータ不足ながら土木工事で減っている可能性がある」ではなく「ウナギの乱獲を訴える人がいるが、ウナギの減った理由としては土木工事が大きそう」と言ってしまう)

3.自分の主張に合わないデータを無視する(例「太平洋のマサバはかつて若魚の乱獲で減っていたと見られるが、漁業管理強化後に増えた」はずが「マサバの若魚は乱獲、資源が増えたのは東日本大震災のお陰」と管理強化に触れない、「太平洋のマイワシはかつて環境変動で9割減った」ことだけを強調して「減った資源に獲り過ぎが追い打ちをかけて、さらに9割以上がいなくなった」という分析結果には触れない)

…こんな感じです。「乱獲が起きている」という人も「乱獲ではない」という人も、どちらサイドからも決めつけた発信があります。

ですが、どの例に着目するかで「資源は減っていない」というのも「乱獲状態だ」というのも「環境条件のせいで減った」というのも、全て嘘にも本当にもなり得ます。

意見の違う人に対して、例外を挙げたり細かいミスを見つけてきたりして「あの人は嘘つきだ」というのは簡単ですし、それを「あの人たちが嘘をつくのは、何か陰謀を企てているから」という話に飛躍することも出来ます。
実際、そういう陰謀論的な話はよく見られますし、これは人目を引くから拡散されがちです。
ただ、そうやって客観的根拠を出さずに誰かを悪者にしていても、いがみ合いが深まって解決策が話し合いづらくなります。

海や漁業を愛する皆さんには、極力冷静に、客観的な見方で考えることを大切にしていただけたら嬉しいです。

前回、日本が近い将来、世界一精密に、多様な魚や漁業のデータを整理できそうな

恵まれた状況にあると分析しました。

魚や漁業の種類、漁船が多いアジア・アフリカ圏にありながら、

それぞれのデータを集め、科学的に魚資源を回復できる望みがこの国にあります。


しかしデータを基に漁獲を抑えて魚を増やす、というのは簡単ではありません。

データの解釈は見る人の立場や知識や価値観で変わってしまうからです。


例えば「魚が減っている」というデータがしっかり揃っている場面で、

科学者が「乱獲のようだ、漁業規制が必要」と根拠立てて話しても、

漁業関係者が「乱獲なんかしていない」と感情的になったり、

漁村同士が「獲り過ぎたのは俺たちじゃない、お前らの漁村だ」と

言い争ったり、どうしてもすれ違いが起きることはあります。


規制を受ける立場の漁師さんも含め、より多くの関係者が納得できるよう、

分かりやすく客観的な分析をもって

「過不足なく規制すれば、魚と漁獲はいつ頃ここまで増えそうだ」とか

「この漁業には、これだけ責任がある。だからこれだけ我慢すべき」と

話し合い、問題意識や協力関係を共有することが大切です。


各地域の漁師さんは、その海のプロです。

一方で、客観的な分析のプロは、科学者です。

漁師さんからの知識を基に、科学者が客観的な目で分析する必要がありますが、

漁業管理の話し合いに、科学者が入れないことが多く、問題です。

最近、「科学者も交えた話し合いの場をつくろう」と政府内で議論になっています。

話し合いが上手く回ることで、漁師さんたちの知識や知恵を吸収し

科学をアップデートしていけます。


ただ、今までの日本の水産の世界では、科学的な話し合いの場があっても、

魚の獲り過ぎを指摘しない忖度や、指摘させない言論封殺が強くありました

(第2章参照)。


そして、漁業管理の話し合いは揉め事になりやすいのに、仲介役となる

科学者や科学コミュニケーターはあまり育っていません。

そもそも、漁業規制をした時の、漁師さんへの減収補償も、まだまだ

不十分との声が漁業現場から出ています。

こうした課題をどう解決するか、もう少し考える必要があります。

(主な内容)

 

1.データの解釈をアップデートせよ

2.忖度を超えていく

3.科学を見える化する

4.弱者と配分

 

★★★★★★★★

 

1.データの解釈をアップデートせよ

 

データを活かして魚を増やそう、というのは簡単ではありません。

魚や海のデータが揃っても、その「解釈」について意見の異なる人同士が
対立し、共通認識がつくれなくなりがちだからです。

 

人類誰もが、広大な海を前にしたら無知なものです。

誰もが、海の知識の断片しか持っていません。

漁村文化などに精通している漁業経済学者も、魚資源に詳しいとは限りません。

漁師さんは地元の海を誰よりも知っていますが、他の海域は知りません。

「どの海域のどの魚が、どんな理由で減っているか」、的確に考えるためには

みんなの知識の断片をつなぎ合わせることしかできない。

「海の中は分からない。だからこそ、せめて、一歩でも多く知識を集め、

理解度を高め続ける」という、“見識のアップデート”が大切です。

 

ですが、自分の知識を盾に、異分野の人に「俺の知っていることも知らない、

不勉強なヤツ。アテにならん」とマウントを取ってしまう人も多くいます。

マウントを取って相手を論破しに行き、あまり相手から学ぼうとしない。

お互いに同じ「魚種Aが減りました」というデータを見ていても

お互いが見識をアップデートしないので、最後まで問題意識を共有できない。

「原因は乱獲だ」「いや、水温のせいだ」などと割れたままになりがちです。

(みなと新聞よりリンク:MSY理論の例

 

対立の大きな原因に、仕事上の利害関係もあります。

例えば、建設業者は埋め立てなどへの規制を嫌いますし、

漁師さんは自分たちへの漁業規制を避けようとします。

漁村同士が、「乱獲したのは自分達じゃなくあの漁村」と

言い合うこともあります。(関係者が仲間や家族の生活を

守るためには当然の心理ですし、責められません)。

「自分たちは、資源を減らしていない」と訴えるために、

都合の良いデータだけ紹介したり、都合の悪いデータを無視したりと、

ちょっとズルい、客観的根拠の薄い分析をする人も出てきます。

当然、ズルを責める人も現れ衝突します。

(みなと新聞よりリンク:クロマグロの例

 

データの解釈は、人の知識や利害関係で変わってしまうのです。

色々な解釈を客観的に比べてみて初めて、見識をより正しく

アップデートできます。それが、科学を改良するということです。

国際法では、漁業規制を最良の科学に基づいて行うよう定めています。
(リンク:国連海洋法条約

 

・・・・・・・・

 

2.忖度を超えていく

 

第2章の通り、日本では、科学を改良する作業が進んできませんでした。

漁業を規制しようとなれば(それが将来の漁業を良くするためであっても)、

漁師さんの多くは反対しますし、

国内の漁業団体や行政関係者、漁業経済系の学者の多くは

「漁業規制は漁師さんの自主性に任せておけば、衝突は避けられる」

「公的な漁業規制は漁師さんの敵。極力緩くすべき」と考え、

「海は分からないから、科学を一歩でもアップデートしよう」ではなく

「科学で海を分かった気になるのは傲慢。科学的な漁業規制は不要」

という意見が市民権を得ました。これらが政治的にも支持された結果、

乱獲を示す資源データがあっても、それを見てみぬ振りしたり、

捻じ曲げたりしてまで、漁業規制を避ける傾向が出ていました。
(リンク:第2章

 

資源学者は、水産業界から「漁業を規制するな」とプレッシャーを受けたり、

直接のプレッシャーがない場面でも「この空気の中、漁業を規制しろ

などと言ったら、来年は行政から契約してもらえないかも」と考えたり、

周りの空気に感化されて「行政が漁業を規制するのは悪いこと」と

決め付け過ぎたりして、

「乱獲を示す情報は示さないでおこう」と忖度することがありました。
(リンク:第2章補足編

 

長い目で見れば、忖度は魚を減らし漁業を衰退させかねません。

実際、日本では資源の減少が示されていますし、

米国では、漁業者ではなく科学者の意見で漁業を規制してから

資源や関連雇用が回復しています。
(みなと新聞よりリンク:米国海洋大気庁(NOAA)元長官の証言

科学から忖度をなくすため、昨年頃から、日本政府も対策に動いています。

 

改正漁業法では、各県の漁業調整(漁師さん同士が漁場などの取り合いで

揉めないための利害調整)の委員会に科学者を入れることを義務化。

 

そして重要魚種に関しては、資源学者がプレッシャーを受けないよう

(漁業関係者からデータ提供を受けはするものの)、データを基に

「海に資源はどれだけいるか、どこまで増えそうか」と評価する会議には

漁業関係者を入れないことを、今年、国の研究機関が決めました。
(みなと新聞よりリンク:水研機構の与党への説明

 

資源評価の過程については、自民党の行革本部が今年

「漁業からの利害関係者を抜きにして、客観的なチェックを入れるべき」

という提言を出しています。

(リンク:提言全文

自民行革
写真も上記サイトより

・・・・・・・・

 

3.科学を見える化する

 

しかし、科学者の考えを漁師さんに押し付けるのもいけません。

上の通り、科学者の知識には限界があります。

科学を全否定したり、根拠のない忖度をしたりしては何も進みませんが、
科学の間違いを、漁師さんが十分な説得力を持って指摘してくだる時、
その知恵を活かさない手はありません。

 

それに、漁業関係者が自主規制してきたということは、関係者が

納得した上で、規制策を決められてきたということでもあります。

第1章のように、漁師さんが納得してこそ漁業規制のルールは守られます。

(リンク:第1章

一方、クロマグロの漁業規制に反対姿勢の強かった北海道の南かやべでは、

大規模な違反漁獲がありました。
(みなと新聞よりリンク:南かやべの違反操業

 

1人でも多くの漁業関係者が漁業規制を「敵」ではなく

「漁獲を増やすこと」「末永く儲ける事」と前向きに見て、納得できてこそ、

乱獲を示すデータとも冷静に向き合い、協力の機運が生まれます。

そのためには、漁師さんが「漁獲を我慢したらどれだけ魚が増え、

どこまで利益がありそうか」をイメージできることが大切です。

国の研究機関は、漁師さんに分かりやすいよう、資源回復のシミュレーションを

示す研究を強めています。

(みなと新聞よりリンク:シミュレーションの内容や意義

 

また、自民の行革も、上の提言の中で、資源学者と漁師さんたちの

話し合いの場をつくるよう訴えています。
(再リンク:提言全文

 

資源学者は「情報を正確に伝えよう」と考え、細かい専門用語を交えながら

長々と説明することが多いです。ただ、その説明は漁師さんから見て分かりづらく、

上から目線にも聞こえやすい。

それで漁師さんが怒ると、科学者が怯えてしまうなどで、いっそう、

お互いのコミュニケーションが断絶することがあります。

科学者には「漁師さんのところに出向く」「簡単な言葉で説明する」など

コミュニケーションの努力が求められつつあります。

 

また、資源学者が「分析を間違えて怒られたくない」とハッキリとした

説明を渋ることもあります。ただ、海の中の科学が「間違えるかもしれない」のは

当たり前なので、必要なのは説明を渋ることではなく、正直に

「こう分析するのが自然なのは、こういう理由から」

「この資源予測が間違えるとしたら、こういう場合だろう」と説明を

尽くすことでしょう。そうやって漁師さんとコミュニケーションを取れば、

漁師さんサイドからも「あのデータはこう解釈する方が的確だろ」と

知恵をもらう機会、科学をアップデート機会が増えていきます。

 

漁師さんとのコミュニケーション技術を磨いた資源学者を育てる仕組みや、

そういう学者が人事的に評価される体制が必要かもしれません。

ただ、資源な分析を的確にできる能力と、分析を分かりやすく話す能力は別です。

分析役の科学者の代弁者として、漁師さんはじめ関係者と対話をする

「科学コミュニケーター」を育てよ、という議論もあります。

みなと新聞よりリンク:科学コミュニケーターの育成を求める水産政策審議会委員の意見

 

筆者は、日本での水産系大学で、漁師さんと資源学者の間を取り持つ

「水産コミュニケーター」のような人材を育ててはどうかと考えています。

「社交的で喋り上手」かつ「魚や自然環境に関する仕事がしたい」若者を育て、

コミュニケーターとして登用する仕組みができれば機能するかも知れません。

もしくは、漁協職員がコミュニケーターを担うケースも期待されますし、

環境団体が漁業や科学への理解、コミュニケーション技術を磨いて、

コミュニケーターになるのも1つの道かと思います。

 

さて、改正漁業法では、漁業管理を国や県の責務としています。

ただ、国や県でも、その下の科学機関でも、人手不足が深刻です。

科学コミュニケションが十分に進まぬまま、行政が漁業規制を進めれば、

恐らく、漁業現場からの不平不満が殺到し、行政官と科学者は、現場への

説明に忙殺されてしまうはずです。

今から何らかの形で、科学コミュニケーションに強い人材を育てるべきだと、筆者は強調します。

 

・・・・・・・・

 

4.弱者と配分

 

上で、自民行革本部が科学者と漁師さんの話し合いの場づくりを提案して

いるとご紹介しました。そして、話し合いの場づくりの最大の目的は、

小規模な漁業を守ることにあります。

 

日本水域の漁業は大きく、沿岸域に多く件数の多い小規模漁業と

沖合域に多い大規模漁業に分かれます。比較的お金を持っていない

小規模漁業は、漁業規制を受けると経営が傾きやすくなります。

このため、漁獲量を規制するとき、当初は小規模漁業に多めに枠を配分して、

資源が回復したら大規模漁業で効率的に獲っていこうという考えです。

 

「どの漁業に多めに枠を与えるか」というと、普通の漁師さんは

「俺に多めにちょうだい」と言うので、漁獲枠の配分の会議を開き

科学者、漁師さんたちがオープンに話し合う中で、より人数の多い

(多くの雇用を支える)小規模漁業を優先していこうとしています。

みなと新聞よりリンク:小規模漁業の優先を明言する自民党行革本部

話し合いの中で、科学者が漁業規制の意味を漁師さんに伝えたり、

漁師さんから意見や知識を吸収したりする意図もあるといいます。

みなと新聞よりリンク:行革の提言案が公表されたときの記事

 

もちろん、小規模漁業も、経営体の数事態が多いので、獲り過ぎを
起こすこともあります。そんな時に「小規模漁業の規制は緩く」と
ばかりは言っていられないので、やっぱり客観的な科学の目で
「どの漁業の責任が大きいのか」と不幸へいなく判断するのも
忘れてはいけません。その上で、小規模漁業には配慮をしようと
いう方向性になっています。

それに大規模漁業も含め、漁を休んでいる漁師さんへの補償や、

商材の手に入らなくなる水産加工流通業者への代替商材の確保なども

大きなテーマ。水産庁も、そこへの予算を増やそうとしています。

みなと新聞よりリンク:昨年9月の予算要求内容

今も、共済の仕組みで漁師さんの減収補償は行われていますが、

掛け金の高さなど課題もあり、今も議論が続いているところです。

 

上のように、漁業規制をしようとすると、漁師さん同士で

「悪いのはあの漁師たちだ、あいつらを規制しろ」と揉めがちですが、

皆で協力しなければ、魚は帰ってきません。

「誰にどの程度の協力を求めるか」の答えは簡単に出ませんが、

話し合っていくことで、1人でも多くの漁師さんが納得できる体制を

つくろうと議論が進んでいるのです。

日本では、漁業を規制されたくない人と、規制したい側の人が断絶しがちです。

規制されたくない人は、規制しようとする人を「漁業者の仕事を奪う悪者」と、

規制したい人は、反対する人を「乱獲で魚資源をつぶす悪者」と捉えやすい。

両者の議論はつぶし合いになりやすく、魚や漁業を蘇らせる方向に進みづらい。

元々はお互い、漁業を想って動いているのに、不幸なすれ違いです。


すれ違いの大きな原因にデータ不足がありました。

データが足りないから「どの魚を漁業規制で守るべきか」や

「どの魚は豊富にいてもっと獲れるのか」の判断が分かれてしまう。

まずデータをしっかり集めることが大切です。


日本には独自の漁協などのシステムとIT技術があります。

この強みを活かせば、恐らく世界一精密に、魚や漁業のデータを整理できます。
データを生かした「スマート水産業」を、政府も目指し始めました。

 

アジア・アフリカ圏は全体として魚種や漁業の種類、漁船が多いので

それぞれのデータを整理し漁業を管理するのは難しいとされてきました。

しかし、日本であれば、その難題に答えを出せるかもしれません。

データを揃え、活かしていく体制が整えば、
海や魚を十分に大切にしている漁師さんは、その努力を証明しやすくなります。
努力が足りなかったりズルを隠蔽したりする漁業者は、責任を問われます。
「努力不足の人のせいで魚が減って、周りや消費者があおりを食う」のは止めよう。
正直者がバカを見るやり方は卒業しよう。
それが国の方向性となり、改正漁業法にも反映されています。

 

(主な内容)

1.「正義 VS 正義」で断絶が生まれる

2.世界一、データを集めやすい国

3.世界一、正直者が得をする漁業に
 

★★★★★★★★


1.「正義 VS 正義」で断絶が生まれる

 

前章 http://livedoor.blogcms.jp/blog/taketo55/article/edit?id=16613762 では、
日本の漁業関係者は乱獲を示すような科学データを封殺しがちだと紹介しました。

ただ、実は、言論封殺的な空気は漁業規制を提案する側の一部にもありました。

証拠不十分な漁業まで乱獲と決め付けたり、それを「決め付けじゃない?」と
指摘してくる人に対しては「御用学者」などとインターネット上で叩いたり。
特に、巻網という漁法や水産庁を擁護する意見は、意見に客観的な根拠があるか
否かを問わず、感情的に叩いてしまう“規制推進派”が目立ちました。

規制したい側もしたくない側も、同じ迷路に入りがちだったのです。

規制されたくない人は、規制しようとする人を「漁師さんの仕事を奪う悪者」と
規制したい人は、規制に反対する人を「乱獲で魚資源をつぶす悪者」と考える。
“悪”を貶すことで自らの主張を通そうとする。
双方が憎み合い断絶し、ますます、意見の合う仲間内の知識だけを信じていく。

お互い、自らの主張に合わない知識は叩き潰してしまう。
お互い、偏った情報で状況を判断していく。

「どの魚が減っているか」「減っとしたら、どう対策すべきか」の判断が狂います。

お互い、きっと怖かったのでしょう。

「正義(=自分達)が悪に負けたら、漁業がダメになる」と。
正義感に燃えて論争していた方々を、叱責はできませんが…

対策を打てず魚は減ったまま、人々は憎み合っている…では、皆が不幸です。

  

漁業を規制したい側としたくない側、両者が断絶してしまった大きな原因に、
政府が魚のデータを集めていないことがあります。


欧米諸国が数百魚種のデータを取る中、日本は50種。

「どの魚が豊富でどれが減っているのか、その原因は何なのか」が不透明です。

データがあっても、「この魚は乱獲っぽいけど、そうとも限らない」とか

「乱獲じゃないっぽいけど、乱獲の可能性も捨てきれない」という場合が多い。

だから、漁業規制を避けたい人は「乱獲の証拠なんてない!」と。

規制を推したい人は「あれもこれも乱獲!」と。それぞれ好きなように

状況を判断し、どんどん、両者の見解がズレていきました。

・・・・・・・・


2.世界一、データを集めやすい国

そんな中、ついに去年、日本政府はデータ集めの対象を
200魚種まで増やす方針を発表しました。

 

これまでデータが足りなかった大きな理由は予算不足。
年間予算は米国の7分の1以下です。
データを取る予算は、他の予算よりおろそかにされがちでした

(参考 https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/87291

https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/87297 )が、
今は与党からも水産研究への予算を求める声が強いので、

増額に期待がかかります。

 

とはいえ、日本などのアジア・アフリカ圏は、欧米よりも魚種や漁船が多い。

魚や船それぞれのデータを取るには、かなりのお金が必要そうです。

国のお金にも限りがあるので、安くデータを集める工夫も大切になります。
 

そこで、期待がかかるのが、日本独自の漁業のシステムです。
日本の漁業の多くは、漁業権や許可がないとできないため、
全国15万人の漁師さんの動向を、国や県が把握しています。
また、獲れた魚の大部分は漁協などの市場を通して売られるので、
獲れた魚の種類や場所、量、獲れた日付を掴みやすいです。
関連: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/78318

漁協や市場の協力があれば、漁獲量だけでなく、漁獲に費やした時間や漁場位置など、
「どの漁船が、どの魚を獲るのに、どんな努力をどれだけしたか」も調べられます。
「この魚種は努力しないでもたくさん獲れる」「努力しても獲れない」などが
見えてくるので、かなり魚の種類ごとの増減を調べられる。

今まで、市場の伝票は手書きのものも多く、集計するには人手や時間、お金が
かかりすぎました。データの揃わなかった大きな原因です。
ですが、今はスマホやパソコンが普及しています。こうした機器を使って
漁獲報告や伝票を電子データにすれば、メールなどで簡単に転送できます。

とはいえ、電子データを入力する手間も馬鹿にならないので、
忙しい漁業現場に負担がかからないよう、工夫が大切になります。
国や研究機関は、データを手軽に入力するためのスマホアプリや、
スマホの写メで魚を撮って魚種やサイズ、量を推定する仕組み
などを開発しようとしています。
スマホの写メで水族館の魚種を高精度に見分けられる現代ですから、
https://iphone-mania.jp/news-222576/
実用化に期待は大きいです。

政府は、こうして海や魚の状態を詳しく調べ、活かしていく水産業を
「スマート水産業構想」と名づけ、実現を目指しています。
スマート水産での資源評価
(規制改革推進会議第3回水産ワーキング・グループ資料〈2019年2月〉より)

これからは一部の科学者だけでなく、漁師さんや市場の知識も借りながら、
より精密に魚や海のデータを取ってこよう、データを生かして魚を増やしつつ
漁場探しや流通の効率化にも使っていこう、という方針です。
スマート水産業
(水産庁ウェブサイトより)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/suishinkaigo2018/nourin/dai13/siryou5.pdf

・・・・・・・・

3.世界一、正直者が得をする漁業に

「どの漁船がどの魚をどれだけ獲ったか」が調べられるようになれば、
漁船は獲った量をごまかしづらくなります。漁獲量を規制したときに、ルール違反を
監視しやすい体制と言えます。

11年前、水産庁は漁獲量規制の普及を検討して、
「漁船の多い日本では監視コストが追いつかない」などを理由に、
無理との結論を出しましたが、状況が変わってきているということです。

漁獲量を規制したとき、例えば漁船が「安そうだから」と洋上で捨ててしまったり、
市場でないところで水揚したりして、獲った量をごまかしてしまう危険はあります。
ごまかしを避けるため、他国では漁船の動きをGPSで調べたり、船にカメラをつけたり
新しい技術を入れて対処している例があります。
(参照: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/73102 )

ただし、漁獲量規制は、「どの魚種を獲るか狙えない」漁法
(定置網など、沿岸の小規模漁業に多い)には難しいです。
そこで、改正漁業法では、漁獲量をコントロールするのが難しい場合に、
漁獲量そのものではなく「漁獲努力量」を絞る方法もOKだとしています。

このように、日本では、小規模漁業にまでしっかりとデータ集めや漁業管理を
できるだけの下地(漁協や市場、IT機器、法律)が整っていている。
この下地は恐らく、世界中でも最高の水準です
(第1章よろしく、EUですら小規模漁業は管理し切れていませんしね)。


データや監視がより充実していけば、「この魚は漁師さんの努力で増えています」、

「A県の漁業規制は十分厳しいですが、B県の努力不足で資源が減りました」、

「この魚は乱獲じゃなくて埋め立てで減りました」などが、少しずつ見えてきます。

海や魚を十分に大切にしている漁師さんは、その努力を証明しやすくなります。
努力が足りなかったり情報を隠したりする漁業者は、責任を問われます。
「努力不足の人のせいで魚が減って、周りや消費者があおりを食う」のは止めよう。
正直者がバカを見るやり方は卒業しよう、というのが国の方向性です。


今後、データ提供や科学的な管理をしてくれる漁師さんには優先的に補助金を出す、
漁獲量をコントロールしづらい漁法同士で漁獲枠を融通する仕組みを考える
(参照:自民党の行革推進本部がこれらを求めています https://fumiaki-kobayashi.jp/2019/04/25/00-23-01/ )

漁獲努力量を効率的に、科学的な裏づけを持って管理する方法を考える、
(参照: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/83330 )
などなどの工夫も進みそうです。


・・・・・・・・

日本は、上のような取り組みを進めていけば、
「魚種も漁法も漁船数も多いのに、資源を回復させた国」として、
アジア・アフリカのお手本に、世界のパイオニアになれる可能性を秘めます。


ただし、本来、データで海を理解し尽くすことなどできません。
より多くの人の視点を入れながら、データの解釈を極力偏らずに行って、
科学の不正確さを修正する努力が大切です。
次回は、そのためにどんな努力ができそうか考えます。

2章本編 http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/16613762.html のように
日本の漁業に影響力の強い政治家や学者の間では、

「日本の(特に沿岸の)漁業管理は実効的」という意見が一般的です。

ですが、よく聞いていると

 

  一部の成功例だけを見て「日本(全体)は素晴らしい」と引き伸ばし

していることが多い。

 

それに

  漁獲が減ったのは、魚価安で漁師さんが海に出ないから

  資源が減ったのは、漁獲じゃなく環境条件のせい

  資源を乱獲したのは、日本じゃなく外国

などの情報は、根拠不足でも信用されがちですし


⑤資源が乱獲されているという証拠がない

という話も相まって

「だから日本は漁業規制を強めなくて良い」と結論されるケースが見られます。

どれも、もう少し幅広い知識から考える必要があります。

・・・・・・・・

 

  成功事例の引き伸ばし

日本には、瀬戸内海のサワラ、北海道留萌のマナマコ、
(環境悪化前の)伊勢三河湾のイカナゴなどなど、

漁師さんの自主性を重んじた漁業管理を行い資源の回復に成功た例があります。
https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/75992


これ以外にも、漁協主導の自主管理は全国の漁村に定着しています。
2011年から水産庁が始めた「資源管理計画」では、
行政に何らかの計画を出した漁業が、国内の漁獲量の9割をカバーしています。

しかし、この計画、科学的な裏づけがなくても承認されます。
「市場が休みの日は休漁します!」みたいな計画もあるとのことですが…
いや、それ元から休漁してたでしょ!!
「漁獲を休むんだから、資源管理です」と言いますが、人間の都合に合わせやっていて
「海や魚がどういう状態だから、こうします」という視点に欠ける場合も多いようです。
実際、事業が始まった後も資源状態や漁獲量は改善せず、むしろ減りました。
https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/87291

http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/4430816.html

つまり日本式の自主規制には成功事例もあるものの、機能していないものがより多い。

確かに、本編のように、漁師さんの自主規制にはメリットも多くあります。
関連する漁師さんたちが話し合い、納得した上で規制するから
ルールの遵守率が高く、また漁師さん自身の知識や監視能力も活かせる。

自主的管理の長所を指摘しまとめ上げた故エリノア・オストロム氏は
ノーベル経済学賞も受賞しています。
これを根拠に「自主管理メインの日本は世界最先端」
とする意見は、日本の漁業団体などの間でよく聴かれます。

https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n1409re4.pdf

ただ、オストロム理論の前提は、「資源が漁村の前の海から出て行かないこと」です。
漁村の内外を出入りする回遊魚は、漁村の知識だけで「どれだけ資源がいるか」を
把握しづらく、漁業規制しようにも、どれだけ厳しくすればいいか分からない。
また、1つの漁村が資源を守っても、他の漁村が獲りすぎれば意味がなくなってしまう。
結果、回遊魚は漁村同士で早獲り競争になってしまうことが多いのです。
自主管理にはこういう弱点があるのですが、弱点に触れず長所だけ強調する関係者が
日本の水産業界に目立ちます。
https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/78395


1章のように小規模漁船が多く、行政だけでは漁業を監視しづらい難しい日本。
漁師さんの目で監視する自主規制が定着していることは、理に適っているし誇れます。

しかし、漁獲技術の発達した今、もう一工夫なければ、資源を守れないケースも多い。
日本の漁業管理を「実行的」と言い切るのは、現状、難しいでしょう。


  「漁獲が減ったのは漁師さんが海に出ないから」

というケースは、もちろんあります。ですが、現存のデータを見ると
「漁獲努力あたりの漁獲量(CPUE)」が減っている魚種が多い。

つまり、出漁の回数より、魚自体の方が、より激しく減っています。

(具体例はこちらから: http://abchan.fra.go.jp/digests2018/index.html )


 

  「資源が減ったのは環境のせい」

ということもよくあります。
魚は水温などの環境次第で大発生したり、卵や仔魚の大量死が起きたりするからです。
ですが、減ったときに獲り過ぎれば、親不足が起きる。

親がいなければ、環境が回復した後にも資源は戻りません。

http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/4443090.html


環境条件次第で増減しやすいとされているマイワシやクロマグロでさえ、
親が一定数を割れば、発生が減るという論文は出ています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/73/4/73_4_754/_article/-char/ja/
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0308597X16304973

 

これらを考えると「悪いのは環境」だから漁業規制をしないという主張は
無理があります。 https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/90189

それと、生息場の環境破壊や栄養不足などの環境悪化。
環境悪化は確実に起きていますし、そのダメージが漁業より大きい場合もあるはずです。

ですが、生息地と資源の分母が減ったなら、漁獲も見合うだけ小さくしなければ
資源は崩壊してしまいます。もしも生息地を広げたいなら、
必要なのは漁獲規制を避けることではなく、

環境が悪化したという証拠や改善するための方法を研究し、提案することです。

http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/10835503.html


 

  「資源を乱獲したのは外国」

という事態は少なからず起きています。
例えば、中国船によるスルメイカやマサバの多獲は商社や科学者が指摘するところ。
外国に規制をするよう説得するなど、難しい努力が求められます。

一方で、日本が漁獲シェアの大部分を占めているのに

「外国も(ごく一部)獲っているから」という理由で漁業規制を入れないケースも
少なくありません。この場合は日本の漁業も規制しないと資源が守れなくなります。

http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/4443090.html


  「資源が減っているという確たる証拠がない」

「科学は不確実。資源は減っていないかもしれないから、漁獲は多くしよう」
という議論も、日本では盛んです。

しかし、実はこれ、国際協定違反です。

まず、海の中のことを、人類が正確に知ることはできません。資源が少なさそうでも

「多いかもしれないというデータもある」「推計が正しいという保証はない」…

というのが当たり前です。
そんな不確実な中で資源を潰さないため、国際協定(日本水域も対象)では

「科学に不安があれば漁獲は控えめに」という予防的アプローチを求めているのです。
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/H28/attach/pdf/index-5.pdf
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty164_12.html

 

それ以前の問題として、日本政府はデータを集めなさすぎました。

欧米諸国が数百魚種のデータを取る中、日本はたった50種。

どの魚がどれだけ海にいるのかほとんどわからないのです。

 魚が減っていても、実態や原因が分からない。対策も打ちづらい。

ですが、海や魚のデータ収集に予算を当たらない。
予算は70億円ほどでアメリカの7分の1以下。

水産団体の意向もあり、データ予算より漁船などを造る予算が優先されがちでした

https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/87291
https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/87297

(ただ、自民党は水産研究への予算を求める声を強めています)。


加えて本編のように、乱獲を示すデータは、粗探しされて封殺さることが多い。


日本は、乱獲を示すデータや言論を見て見ぬ振りしがちだった。
科学に必要なデータも、本腰を入れて集めてはこなかった。

残念ながら、そういう傾向は否定できません。

日本の水産業界には、欧米式の漁業規制制度や環境団体への反感が強くあります。

前回ご紹介した事情を考えると、無理のないことでした。

「業界を批判や過度な規制から守り、水産物を獲れる体制を残そう」。

そんな善意を、業界団体や政治家、水産庁…皆が共有してきたと言えます。

 

ただ、水産政策の関係者が、その善意の強さゆえ熱くなり過ぎてしまい、

日本の漁業の良い部分にだけ焦点を当て「科学的な規制は不要」と断じたり、

乱獲を示すような科学データを見て見ぬ振りしたり、捻じ曲げたり。

“見て見ぬふり”や“捻じ曲げ”にツッコミを入れる人には、嫌な態度を取ったり。

そんな、言論封殺のような空気も残っています。

 

獲り過ぎを省みず魚が減っていけば、水産業界は自らの首を絞めてしまいます。

不都合な言論を封殺し、国として真摯に海や魚と向き合ってこれなかった過去と、

そろそろ向き合う時なのでしょう。

改正漁業法は、そのための道筋を示す内容でした。

 

言論封殺の問題は、とてもデリケートです。

が、日本の漁業が蘇えるため、避けられぬ壁でもあります。

提起するタイミングや方法について、何年も悩んできましたが…

今こそ議論を強めるべき、と判断しました。

筆者が直接コミュニケーションを取れるSNSから、発信します。

不快な思いをされる方には、申し訳なく感じます。

ご批判やご反論も受け止めますので、骨太の議論ができれば幸いです。

 

(主な内容)

1.「規制反対」の渦

2.捻じ曲げられる科学

3.捻じ曲げを生む空気感

 

★★★★★★★★

 

1.「規制反対」の渦

 

前回 http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/16578073.html のように、
日本の政策を決める方々の間では

「欧米を見習い、漁業規制を強めよう」と提案する方々への不信感が強いです。

 

それに、日本の漁業管理は、伝統的に漁師さん自身の意見を反映して
方法を決める傾向があるので、漁師さん自身が納得して規則を遵守したり、
行政が監視コストをかけなくても漁師さん同士が遵守を監視しあったり、
漁師さんだけでできない取組(例:海底環境の改善)もできたり、
他の先進国にない強みがあります。

小規模経営の漁師さんが不利にならないように、漁船のサイズなどを規制したので、

漁船や漁師さんの雇用の数が保たれています。

漁船数など

規制改革推進会議第1回水産ワーキング・グループ資料(2017)より
漁師さん主導の自主的規制は、江戸時代から続いてきたという歴史もあります。

 

なので、日本の漁業関係者には世界の漁業を先導してきたという誇りが

ありますし、「日本の良さを勉強してよ、認めてよ」というのもごもっともです。

 

まして漁師さんから見て、漁業規制があれば大漁のロマンを追いづらくなる。

「たぶん将来の収入が増える」としても「目先の収入は確実に減る」。

仲間内への規制には、どうしても反対感情が強くなりがちです

(商売敵の外国漁業への規制は歓迎することが多いです)。

 

漁業団体から見ても、規制への漁師さんの合意をまとめるのは難しいです。

故に、多くの漁業団体は規制を強めまいと動いてきました。

 

とはいえ、適度な漁業規制は大切でもあります。

適度に漁獲を抑えれば、長い目で見て、魚も水産業も栄えますし、

国際規則でも、科学を用い漁獲を抑えることが義務付けられています。
https://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/unclos1.htm (61条)

 

規制に反対する漁業界と、賛成する科学者など。意見が分かれている時には、

政治が間に入る必要が出てきます。

漁師さんが納得していない漁業規制は守られづらいので、

時には漁師さんに、規制の意義を説明し、守るよう呼びかけるのも政治の仕事。

 

ですが、日本では政治が漁業関係者の意向に沿い過ぎた部分がありそうです。

例えば、ある衆議院議員は言います。以前、水産庁が「漁業規制を強めよう」としたが、

漁協や関係政治家の猛反対を受け、中断に追い込まれたと。

 

漁師さんの人数が(減ったとはいえ)多い日本で

「漁業関係者は、科学者よりも政治に声を通しやすい」。

筆者自身、国内外の関係者から聴く指摘です。

(参照: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/65735 )

 

・・・・・・・・

 

2.捻じ曲げられる科学

 

国の資源研究機関のトップである宮原理事長や、

(従来水産政策をリードしてきたのとは別グループの)一部の与党議員は、

加えて指摘します。

日本は、声の大きい漁業関係者に忖度して、漁業規制が強まらないように、

科学を「資源は少なそうだけど、多いことにしよう」などと捻じ曲げがちだと。

(参考: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/90368

https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/90416  )

筆者自身、何度となく忖度の噂を聴き、現場も見てきました

例えば、国の会議でスルメイカやスケトウダラの資源が少なさそうだと試算された時。

国立大の研究者や行政の科学者が「漁業者が納得しないから」という理由で、

客観的な根拠なしに数式をいじり、「資源はさほど少なくない」ことにしようとする。

(スルメの例: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/64184 https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/65339 )
 

他にも、漁業規制を避ける方向で科学を曲げてしまうケースは多くありますし、

具体例は別立ての補足記事をご参照ください。 http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/16613806.html )
根源に、政府として魚のデータをほとんど集めていないという問題もあります。

 

事実、日本水域の漁獲はここ30年ほど減り続け、盛時の3分の1。

科学的に(忖度が入った上でなお)資源が減っている傾向が出ていますし、

TON図のみ
未成魚を中心とするの乱獲も指摘されているものの
(個別事例は http://abchan.fra.go.jp/digests2018/index.html 参照)

国が「しっかり漁業規制すればここまで資源は減らなかった」と公に認めることは

2年前までありませんでした。

 

・・・・・・・・

 

3. 捻じ曲げを生む空気感

 

科学の“捻じ曲げ”が起きた1番の原因は、恐らく業界内の空気感。

日本の水産団体や古参の政治家、業界系マスコミなど業界関係者には

「日本の漁業を褒めてくれる人、規制しない人は善人」

「批判する人、規制しようとする人は敵」と見る傾向があります。
 

2.のような捻じ曲げた科学を基に「漁業規制は不要」と論ずる学者は、

業界から「現場の気持ちを分かってくれる」「心ある」「まとも」と評されやすい。

確かに、そういう科学者には他者の感情に敏感で優しい方が多いのですが…

本来客観の積み重ねであるはずの科学が、感情に左右されているようでは、

分析結果が偏っていってしまいます。

 

科学的根拠を基に「日本人が乱獲している」と指摘する人がいても、

業界側は「あの人、日本の漁業現場も知らないくせに」とか

「科学が正しいとは限らない。海を分かった気になるな、謙虚であれ」とか

切り捨てがち。最後は「漁業規制は、科学よりも漁師さん主導が良い」と

落ち着かせることが多くあります。

 

もちろん、科学は大なり小なり間違いを含むのですが、

漁師さんの意見が間違いないということもありません。
それに、科学者の「資源は海に何トンいる」という計算に誤差があろうと、

計算を基に「何トン以上獲っちゃダメ」と線を引くことは意味があります。

魚は獲りすぎればいなくなるのですし、線引きを明確にすると守りやすい。

だからこそ、国際法が客観的な科学の視点を使うよう定めています。
なのに、そうツッコミを入れる人は「空気読めない」と後ろ指を指される。

 

乱獲を指摘する識者を、人格ごと否定する漁業関係者の声。私も何度聴いたでしょう

(第1章の通り、指摘する側の態度にも原因はありましたが、態度と指摘の的確性は別問題です)。

 

公務員や科学者が「乱獲状態とは分かっている。でも公言すると立場を失う」

「この魚は乱獲状態。だけど、私のコメントとしては記事にしないで」

なんて怯える様子。何回、見たでしょう。

 

さすがに政府ぐるみで密漁を隠した旧北洋サケ漁のような話は近年聞きませんが、

不都合な情報を封殺し漁業規制を避けようとする空気は、今も残っているのです。

冒頭のように、この空気の大元には、漁業を守ろうという関係者の善意があります。

善意での行動を筆者は責めたくないし、読者の皆様にも責めていただきたくありません。

ですが、罪を憎んで人を憎まず。

罪の部分は直視し、改める必要があるはずです。

・・・・・・・・

 

先の通り、今あるデータには、資源減や乱獲を示すものが多くあります。

しかも、日本は食用魚種のほとんどにデータ自体を集めていません。

なのに、最近まで、こうした問題から多くの関係者は目を逸らしていた。
この国は、真摯に海や魚と向き合ってこれなかった。

しかし、今、政府は態度を改めつつあります。
改正漁業法は、漁業者にデータ提出を義務化し、

行政の責務として漁業管理を行う、と謳いました。

水研機構や与党議員らは、科学から忖度を廃し客観性を取り戻す道を示しました。


かつて漁業を「批判させず、変えさせない」ことに重きを置いていた政府が

「問題を点検し、修正する」に方向に舵を切っています。
漁業規制は「避けるべきこと」ではなく、「末永く漁を獲り続けるためのこと」だと
発想を改めてきています。

今までやってきていたことを反省して改める、というのは面倒で苦しいことです。
業界団体や県行政、さらに国の機関の関係者にまで、漁業規制を避けようという
本能は、今も色濃く残っています。そんな中、いかに多くの関係者が発想を転換し
「魚を増やして漁業を盛り上げよう」という前向きな意識を共有できるか。

これが漁業法改正の成否を分ける最大のポイントだと、筆者は考えています。

 

日本は、小規模漁業が多くデータ集めも科学的な規制も難しい(前回参照)国です。

一方で、小規模漁業を科学的に管理し、かつ漁師さんが納得していくための

可能性を、恐らく、世界一秘めた国でもあります。

 

なぜ、日本がそこまでの可能性を持つのか、可能性はどうすれば実現するのか

次回、考えます。

※当記事は、あくまで筆者個人の分析です

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