前半の話をまとめると

(2.のように)若者が「環境問題に対策しよう」と声を上げるのは大切ですし

(3.のように)対策の負担配分を減らす工夫も考えられます。ただし、

(1.のように)問題提起した人は周りから「余計なこと言うな」と言われたり、

(4.のように)「(都合の悪い意見だけ)聞かない」的な人に怒られたり、

そういう怖さがあるので、声を上げるのは勇気も要る…という感じです。

 

では、声を上げる勇気を持つためにはどうすれば良いでしょうか。

年配者からも「これなら聞こう」と思ってもらえるような

「優しい声の上げ方」を工夫することじゃないかな、と筆者は考えます。

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5.「優しく」問題提起する勇気を

 

さて、海や自然はつながってしまっているので、

誰かだけ環境対策を頑張っても、他の誰かが壊したら意味がありません。

「漁法Aは何トンまで魚を獲って良いよ、漁法Bは漁期をこれだけ規制して」

などと全体の足並みを揃え線引きをする、リーダーシップが必要です。

 

日本を含む先進国の法律だと、リーダー役を担うのは主に行政です。

ただ、行政はリーダーといえども独裁者ではありません。

例えば、漁業現場や、漁業地域の政治家から

「漁獲を抑えたら漁村の収入が減る」

「漁獲を抑えても効果が出るか分からない」

と訴える時に、無視できません。

そもそも肝心の漁業現場が「魚が増えて漁業のためになるように、

獲り控えをしよう!」ではなく「行政の押し付けで獲り控えさせられる…」

と思うなら不幸だし、獲り控えに協力しない漁業者も増えるかも知れない。

 

だからこそ、これまで書いてきた通り行政自身が

客観的に、そして透明性を持って「これだけ獲り控えたら上手くいきそう」、

関係者の減収などの痛みに「こう対策するよ」と説明するのが大切です。

 

そして行政だけじゃなく、世論も重要です。

最近ではネット上なんかで「日本は魚を獲り控えて資源を回復させるべき」

なんて発信も増えてきていますし、発信にある程度客観的根拠があることも多い。

ただ、その言い方がちょっと乱暴なこともあります。

「日本は後進国」みたいな、ちょっと攻撃的な表現を使っていたり、

ある特定の漁法ばかりに焦点を当てて「彼らが悪い」と偏っていたりです。


偏った攻撃をされた人は「いじめられた、漁業規制を訴える奴は敵だ」と

感じてしまいます。いじめられたと感じた漁業関係者が政治サイドに

「漁業規制に反対してよ」と訴えていけば、感情的が対立して
規制反対の漁業者・政治家VS規制賛成の世論・行政などと割れかねない。
感情の対立は「実際に漁業や水産をどうすべきか」という冷静な議論を阻みます。

 

もちろん、本当に獲り過ぎている漁業や本当に二酸化炭素を出している企業に
世論が「やり過ぎないでよ」と
訴えることは時に必要でしょうが、

客観性の高い訴えを、

かつ極力トゲのない表現でしないと、訴えが誹謗中傷になって問題解決を邪魔しかねない

特に、年配者に環境対策を求める若者は、気を付けるべきでしょう。

 

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6.「老害」と雑に括らない

 

最近、若者の間で「老害」という言葉が流行っていますね。

確かに「老害と呼びたくなってしまう人がいる」という気持ちは分かります。

でも、気に食わない年配者皆に「老害」のレッテルを貼るのはどうでしょう。

年配者の若者嫌いの感情的が加速しかねません。

 

たぶん、老害と呼ばれてしまう方々の本質的な問題は、4.に書いたような

「的確な指摘でも、気に入らなければ聞かない」態度を取るという事。

そして1.のように「若者に(理屈の合わない)同調圧力をかける」ことです。

つまり「若者からの異論でも、的確なら聞く」「理不尽は押し付けない」

という態度が取れる年配の方は尊敬すべきです。


だから、僕たち若い世代がするべきは、たぶん

「年配者への誹謗中傷をせず、ただし理不尽な同調圧力にイエスも言わず、

真摯に『未来のための変化はお願いする』」ことじゃないでしょうか。


理不尽な年配の方が一定数いらっしゃるのも現実かも知れませんが、

そうでない方も多くいらっしゃいます。そういう年配者の皆さんを若者が

尊敬し仲良くできれば、きっと「環境を未来に残して」という訴えにも

力を貸していただきやすくなります。例えば、年配の漁師さんが

「この漁法を止めろというのは飲めないけど、禁漁をこれだけ延ばすなら

できるよ」と、話に入ってくれることもあるかも知れません。

そうしていけば、環境問題含め「今のやり方を変えませんか」と訴える人が、

周囲から「揉め事を起こして面倒」ではなく、

「勇気を出して訴えてくれてありがたい」と見られ、応援されやすくなるはずです。

 

「アダルトチルドレン」という言葉がありますが、多くの若者が

その逆を目指せれば、と思うのです。

若くても年配者の気持ちや立場を考える思慮深さがある、

でも、現状の問題を見て見ぬふりして先送りすることもなく

年配の方々と協力関係をつくってしまうような若者。そういう人を

「相手を論破できる人より、問題解決に貢献してくれる!カッコいい!」と

評して後押しするような空気ができればな、と感じます。

 

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7.「聞ける勇気」のカッコ良さ

 

「若者が論破ではなく協力関係を目指せる」ことに加え、

「年配者が「聞く耳を持てること」も、評価されたらと思います。

 

「若者がこれだけ真摯に向き合ってくれているのだから、

年配者も聞く耳を持ち、考え方をアップデートするべきだ」とか

「年を取っても考えをアップデートできる柔軟性を保てたら素敵」とか

そういう機運がつくれたらハッピーじゃないでしょうか。

 

もちろん、近年(4.のように)「聞く耳のない人」が評価されることは多い。

例では「他人の漁法を貶して自分の漁法に枠を求める人」を描きましたが、

他にも「国内の諸問題をやたら移民のせいにする欧州の政治家」とか

「自国の会社の責任を認めず温暖化を陰謀論で片付ける大統領」とか、

そういう人が支持を伸ばしました。
でも、自らの誤りを認めず他人だけ責めていても、何も解決しません。

やっぱり問題を先送りして、傷口を広げてしまいます。

 

温暖化対策なら「ウチの国より二酸化炭素を出してる中国を責めろ」じゃなく

「中国さん、これだけ二酸化炭素減らしてよ。え?ウチは中国より1人当りの

二酸化炭素排出が多いって?分かった、ウチも少し頑張るよ」とか。

ただ利害の合わない相手を非難するんじゃなく、相手の意見を聞きつつ

「協力してあげるか」と思わせるような態度を取る方が、派手さはなくても

実際の問題解決に近づけるはず。

誹謗中傷をしたり、自分の誤りを認めず誤魔化したりしてまで相手を
「論破する」よりも、自分への異論を聞き入れた上で、考えや行動を

「アップデートする」方が、より多くの人のため、より先の未来のために
プラスになる。そういう人がもっと支持されて良い、と筆者は訴えます。

 

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8.勝ち負けより、アップデート

 

環境問題がいよいよ目に見えてきているのに、

(5.~6.のような)「優しく問題提起をする勇気」を持てない若者や、

(7.のような)「聞く勇気」を持てない年配者が多い今の世界。

「話合いが勝ち負けだと思われている」せいじゃないでしょうか。

 

もちろん、勝ち負けの要素はあります。

世界で「漁獲枠を決めよう」「二酸化炭素の放出上限枠をつくろう」としたら

どの国も「ウチの国の枠を多く、ヨソの枠を少なく」しようと交渉します。

枠を多く獲った国は勝者ということになるでしょう。

だから、勝てる(人を論破できる、不都合な話を聞かず自己主張する)人が

派手に目立ったり、ヒーロー視されたりするのも一理あります。

 

ただ(4.で書いたように)、自分が交渉で勝つことだけを目的にして

「不都合な意見は受け付けない」という人が多いと、対話は前に進まない。

すると

環境は悪化し続け、食糧は獲れなくなり、奪いが起き、

秩序がなくなり、世界中皆が敗者となる危険が出てくる

目の前の勝ち負けばかりこだわっていると、もっと大きなものを失うでしょう。
 

だから、筆者は最後に、再度強調します。

論破しに行く人より、聞く耳を持てる人。

聞く耳を持ち、より正しい情報を集め、知恵をアップデートできる人。

知恵を生かし、行動をまでアップデートできる人。

そういう人がいなきゃ、未来の環境も経済も社会も守れない。

そういう人たちのカッコよさを認めて、応援しようよ。
アップデートが必要と「モノ申す勇気」と、モノ申されたときに「聞ける勇気」を広めようよ。

特に数十年後の未来を生きなきゃいけない、僕たち若者はさ…と。