僕の知る限り、これからも人間が海の恵みを得続けるには、行動を変える必要がありそうです。

でも、行動を変えることって、やっぱり面倒だし抵抗感があるもの。

じゃあ、その抵抗感を超えていくためのカギは何でしょうか。

 

もちろん「海や自然がどれくらいピンチか証明すること」とか、

「面倒な対策をやってくれる人に埋め合わせをすること」もあるんですが、

一番は、話合いのしやすい風通しの良い空気をつくること。

 

もっと言うと「若者が問題提起する勇気を持つこと」

「大人が問題提起に耳を貸す勇気を持つこと」

「勇気をもってやり方を改善するのはカッコいい、という空気をつくること」

そうして皆が気兼ねなく本音と知恵を出し合える、

風通しの良い気風をつくることなんじゃないかな、と思っています。

 

・こんな人向けのお話です
老害的な人に腹を立てている」
「環境問題や貧困に対策をしたいが、目上の人に反対されてしまう」
「意見の違う相手も、論破すれば良いってものではないと思う」

 

主な内容

1.若者と大人の不一致

2.若者が問題提起を

3. 立場の違いを整理する

4.整理を阻む「聞かない」態度

5.「優しく」問題提起する勇気を

6.「老害」と雑に括らない

7.「聞ける勇気」のカッコ良さ

8.勝ち負けより、アップデート

 

・・・・・・・

 

1.若者と大人の不一致以前の話のおさらい)

 

環境問題(や貧困)の対策が弱いと未来の経済や社会が痛みます。

つまり、未来を生きなきゃいけない若者や子供たちが苦しむ。

ただ、環境問題や貧困への対策、例えば二酸化炭素を出さないとか

魚を獲り控えるとか、そういうことを急ぎ過ぎると、

目先の、特に先進国の経済は弱るし、失業などの社会問題も起きます。

 

だから、目先の経済や社会を守りつつ、

でも環境問題にも対応していくというバランスが大切です。

 

だけど今、環境、特に日本の海を守る議論は、

目の前の経済を守る議論よりも軽く捉えられやすい…

というか「綺麗事だ、うさん臭い」と引かれてしまうことも多くないでしょうか。

 

とはいえ、ある意味で当たり前ですよね。

まず、人間と言うのは目先の欲が強いもの。

目の前に楽しいことがあれば嫌なことを後回しにします(僕自身もです)。

将来より目先のお金を重んじる傾向は、学術的にも示されています。

 

それに猛暑日が増え、魚が減り、などの環境悪化が

先進国の人にすら深刻に影響しだしたのは最近のこと。

それまでは「どんどん働いて(活動して)経済的に成長しましょう」

「他国に負けないように成長して、欲しいものを沢山買いましょう」

というのが、社会やその人自身を豊かにする“正義”でした。

 

そんな中、急に「経済活動しすぎたら環境がダメになります」

「二酸化炭素を出し過ぎず、魚を獲り過ぎずにいましょう」となってきたから、

言われた側は何が“正義”なんだか分からなくなる。そして人情として

「自分のやってきたことを批判された」

「やり方を変えたら、自分が間違っていたと証明してしまう気がする」

とも思う。自分のやり方を批判的に見るのは、誰にだって辛いものです。

 

特に、ある程度歳を重ねた人が、そうなることは責められません。

長く生きてキャリアに誇りを持つと、より

「ずっと頑張ってきたことを批判的に言われるのは辛い」と

なりやすいように見えます。

それに、そもそも自分が何十年後の未来を生きるという実感が薄いと、

「未来のために環境を守ろう」という言葉にも共感しづらいでしょう。

 

特に、年上の人に従おう、周りの空気を読もう、という文化の強い日本。

「環境問題なんて提起したら年配者と揉めかねない、白い目で見られる」

「問題を見て見ぬフリしよう」と、風通しの悪い空気になることもあります。

「周りやネットに『環境対策反対』って意見が多いから合わせておこう」とか、

そういう人もいるでしょう。

 

だからこそ、

若い水産関係者から「魚を獲り過ぎず資源を守りたいけど、

表立って言えない空気がある」的な嘆きが、沢山聞こえる

のでしょう。

 

・・・

 

2.若者が問題提起を

 

ただ、温暖化にせよ、魚の獲り過ぎにせよ、

問題を見て見ぬふりで先送りすることは、

揉め事を避けているようで、むしろ揉め事や苦しみを大きくしてしまいます。

 

温度が上がれば後戻りは難しく、猛暑や干ばつ、食糧難、

山火事が起きやすくなっていってしまう。

魚が減れば減るだけ、回復のためにかかる時間がかかり

不漁が長引き、水産業者も消費者も苦しむ。

苦しみが強くなればなるだけ、「お前のせいだ、責任を取れ」

「魚が減ったのはあの国のせい、あいつらだけ規制してくれ」

などの言い合いは増え、激化やしやすくなります。

 

だから、環境対策の手を打つのは、早めにしたいということになります。

「打った瞬間には痛みがある、だけど後の致命傷を避けてくれる」

という意味では、予防注射に近い考えですね。

特に、環境悪化のダメージを食いやすい若者は、率先して

「手を打とうよ」と声を上げ、対策していく必要があるでしょう。

 

・・・

 

3. 立場の違いを整理する

 

例え話ですが、漁法Aと漁法Bが同じ種類の魚を獲るとしましょう。

漁法Aには小さな漁船が100隻いて、1㌧ずつ計100㌧を獲っている。

漁法Bでは、大きな船1隻で100㌧獲っています。

そんな中、その魚が乱獲で減っていると分かり、漁獲制限をするとします。

 

漁法Aの関係者は言います。

「俺たちは1隻で1㌧しか獲らないから、1匹1匹丁寧に処理して美味しく出せる!

しかも漁船が小さいせいで、他の魚種を狙って他所の海域に出られないし、

漁船数が多いから、規制されたら苦しむ漁師が多い!

俺たちじゃなく、漁法Bを規制すべきだ!」

 

漁法Bの関係者は反論します。

「俺たちは1隻だけで100㌧獲るから、コストも魚の値段も安く済む!

しかも安く魚を出すから多くの加工流通業者と消費者を支えている。

規制されたら加工流通業者まで苦しむ!

むしろ漁法Aを厳しく規制すべきだ!」

 

AとB、どちらが正義でしょうか?

正解はありません。どちらにも一理あります。

だからこそ、「どちらをどれだけ規制するか」を

話し合って決めていく必要があります。

 

AとBで冷静に話し合えれば、双方にメリットのある決着はあり得ます。

例えば「資源が少ないうちには、他の魚種を狙いに行けない漁法Aに

厳しい規制はしない。ただ、漁法Bを厳しくしてここまで資源が回復したら、

今度は漁法Bの規制を優先して緩める」とかです。

こういう調整は「他の魚を狙えないVS狙える」と言う風に、お互いの

立場がどう違うのかを整理するからこそ出来ることです。

 

・・・

 

4.整理を阻む「聞かない」態度

 

しかし、この「立場の整理」も難しく、勇気を要することです。

整理をする人は必ず責められるからです。

例えばメディアが「獲り過ぎが起きているので、手を打つべきでは。

漁法Aにはこういう良い所とああいう問題がある」と問題を

定期し整理すると、漁法Aの関係者が「俺たちが問題と言うつもりか」、

Bの関係者が「Aの良い所を言って肩を持つのか」怒ってしまったりします。

 

AもBも、お互いに大切な人を守ろうと必死なのですから、

感情的になることは責められません。

ただし、それが高じて「聞かない」態度に固まってしまうとしたら問題です。

 

例えば漁法Aの関係者が「この科学者は漁法Bの乱獲が悪いと言っている」

と科学を引用しておきながら、別の科学者に「Aの乱獲も問題」と言われた

途端に「科学が正しい保証なんてない」

「自分の専門じゃないから分からない」などと誤魔化したり

「この学者はこういう陰謀を持っていそうだから信用せん」と誹謗中傷したり

聞く耳を貸さないとしたらどうでしょう。

 

「聞かない」態度というのは、身内からは好かれやすいです。

耳の痛い指摘を跳ね除けて、身内を守ってくれる。

そういう言動が「我々に寄り添ってくれる」と好かれていく。

でも、これで支持してくれるのはあくまで身内。

身内以外を相手に、客観的な根拠も代替案もなく、ただ気に食わない

意見を排除していれば、話し合いはストップしてしまいます。

 

漁法Aと漁法Bの例でも、話し合いがストップすれば、

お互いに「相手にも相手なりに守りたい人がいる」

「相手の理屈にも一理ある」と気づく機会がなくなります。

「相手が厳しい規制を受けるべき、我々は被害者」と考え続けるでしょう。

でも、海がつながっている以上お互いが協力しなければ魚は増えません。

そこで待っているのは、例えば

「AもBも納得しないので、十分な獲り控え策が入らない」

「行政に『AもBも規制』と言われて、双方、不本意な規制を押し付けられる」

などの展開です。不本意な規則なら、裏で破る人も増えかねません。

それで魚が増えなければ、AもBも両方苦しむことになってしまいます。

 

つまり、「聞かない」態度は、廻りまわって本人たちまで苦しめやすい。

漁業だけじゃなく二酸化炭素や海洋プラスチックの排出、

色々な環境問題に言えることです。

 

「聞かない」態度の素になりがちなのが〝知識マウント〟です。例えば

学者が難しい数式だけ出して「魚が減ったのに漁師が理解しない」と考え、

漁業関係者が「漁業現場も知らないくせに」と学者の陰口を言うとします。

お互いが「お前は無知だからこちらの言うことを聴け」的に考えているので、

相手の言っていることを十分理解しないまま聞く耳を閉じてしまうでしょう。

こういう知識マウントで「アイツは何々を知らない」とか、もっと言うと

「学歴が~」「勤務年数が~」「前に誰々を批判した〝反誰々〟だから~」

とか、根拠不足のレッテルを貼って聞く耳を閉ざしてしまったりする。

 

確かに人には聞く耳を閉ざす心理がありますが、

それを意識するのが大事ではないでしょうか。

人それぞれ、持つ知識・得意分野が違うのは当たり前。

相手にも専門分野があると意識し聞く耳を持つことで、対話が始まります。

 

もちろん、海や自然環境は広大過ぎますし、

「プロの知識も正しいとは限らない、実態は人知で分からない」という

謙虚さはとても大切です。「分からない」こと自体は仕方ない。

ですが、分かる度合を上げるには人々の知恵を集めるしかありません。

都合の悪い時でも、知恵に最低限「聞く耳だけは貸す」態度が大切です。