日本の水産業界には、欧米式の漁業規制制度や環境団体への反感が強くあります。

前回ご紹介した事情を考えると、無理のないことでした。

「業界を批判や過度な規制から守り、水産物を獲れる体制を残そう」。

そんな善意を、業界団体や政治家、水産庁…皆が共有してきたと言えます。

 

ただ、水産政策の関係者が、その善意の強さゆえ熱くなり過ぎてしまい、

日本の漁業の良い部分にだけ焦点を当て「科学的な規制は不要」と断じたり、

乱獲を示すような科学データを見て見ぬ振りしたり、捻じ曲げたり。

“見て見ぬふり”や“捻じ曲げ”にツッコミを入れる人には、嫌な態度を取ったり。

そんな、言論封殺のような空気も残っています。

 

獲り過ぎを省みず魚が減っていけば、水産業界は自らの首を絞めてしまいます。

不都合な言論を封殺し、国として真摯に海や魚と向き合ってこれなかった過去と、

そろそろ向き合う時なのでしょう。

改正漁業法は、そのための道筋を示す内容でした。

 

言論封殺の問題は、とてもデリケートです。

が、日本の漁業が蘇えるため、避けられぬ壁でもあります。

提起するタイミングや方法について、何年も悩んできましたが…

今こそ議論を強めるべき、と判断しました。

筆者が直接コミュニケーションを取れるSNSから、発信します。

不快な思いをされる方には、申し訳なく感じます。

ご批判やご反論も受け止めますので、骨太の議論ができれば幸いです。

 

(主な内容)

1.「規制反対」の渦

2.捻じ曲げられる科学

3.捻じ曲げを生む空気感

 

★★★★★★★★

 

1.「規制反対」の渦

 

前回 http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/16578073.html のように、
日本の政策を決める方々の間では

「欧米を見習い、漁業規制を強めよう」と提案する方々への不信感が強いです。

 

それに、日本の漁業管理は、伝統的に漁師さん自身の意見を反映して
方法を決める傾向があるので、漁師さん自身が納得して規則を遵守したり、
行政が監視コストをかけなくても漁師さん同士が遵守を監視しあったり、
漁師さんだけでできない取組(例:海底環境の改善)もできたり、
他の先進国にない強みがあります。

小規模経営の漁師さんが不利にならないように、漁船のサイズなどを規制したので、

漁船や漁師さんの雇用の数が保たれています。

漁船数など

規制改革推進会議第1回水産ワーキング・グループ資料(2017)より
漁師さん主導の自主的規制は、江戸時代から続いてきたという歴史もあります。

 

なので、日本の漁業関係者には世界の漁業を先導してきたという誇りが

ありますし、「日本の良さを勉強してよ、認めてよ」というのもごもっともです。

 

まして漁師さんから見て、漁業規制があれば大漁のロマンを追いづらくなる。

「たぶん将来の収入が増える」としても「目先の収入は確実に減る」。

仲間内への規制には、どうしても反対感情が強くなりがちです

(商売敵の外国漁業への規制は歓迎することが多いです)。

 

漁業団体から見ても、規制への漁師さんの合意をまとめるのは難しいです。

故に、多くの漁業団体は規制を強めまいと動いてきました。

 

とはいえ、適度な漁業規制は大切でもあります。

適度に漁獲を抑えれば、長い目で見て、魚も水産業も栄えますし、

国際規則でも、科学を用い漁獲を抑えることが義務付けられています。
https://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/unclos1.htm (61条)

 

規制に反対する漁業界と、賛成する科学者など。意見が分かれている時には、

政治が間に入る必要が出てきます。

漁師さんが納得していない漁業規制は守られづらいので、

時には漁師さんに、規制の意義を説明し、守るよう呼びかけるのも政治の仕事。

 

ですが、日本では政治が漁業関係者の意向に沿い過ぎた部分がありそうです。

例えば、ある衆議院議員は言います。以前、水産庁が「漁業規制を強めよう」としたが、

漁協や関係政治家の猛反対を受け、中断に追い込まれたと。

 

漁師さんの人数が(減ったとはいえ)多い日本で

「漁業関係者は、科学者よりも政治に声を通しやすい」。

筆者自身、国内外の関係者から聴く指摘です。

(参照: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/65735 )

 

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2.捻じ曲げられる科学

 

国の資源研究機関のトップである宮原理事長や、

(従来水産政策をリードしてきたのとは別グループの)一部の与党議員は、

加えて指摘します。

日本は、声の大きい漁業関係者に忖度して、漁業規制が強まらないように、

科学を「資源は少なそうだけど、多いことにしよう」などと捻じ曲げがちだと。

(参考: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/90368

https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/90416  )

筆者自身、何度となく忖度の噂を聴き、現場も見てきました

例えば、国の会議でスルメイカやスケトウダラの資源が少なさそうだと試算された時。

国立大の研究者や行政の科学者が「漁業者が納得しないから」という理由で、

客観的な根拠なしに数式をいじり、「資源はさほど少なくない」ことにしようとする。

(スルメの例: https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/64184 https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/65339 )
 

他にも、漁業規制を避ける方向で科学を曲げてしまうケースは多くありますし、

根源に、政府として魚のデータをほとんど集めていないという問題もあります。

具体例は別立ての補足記事をご参照ください。 http://take-to-enjoy-the-ocean.blogism.jp/archives/16613806.html )

 

事実、日本水域の漁獲はここ30年ほど減り続け、盛時の3分の1。

科学的に(忖度が入った上でなお)資源が減っている傾向が出ていますし、

TON図のみ
未成魚を中心とするの乱獲も指摘されているものの
(個別事例は http://abchan.fra.go.jp/digests2018/index.html 参照)

国が「しっかり漁業規制すればここまで資源は減らなかった」と公に認めることは

2年前までありませんでした。

 

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3. 捻じ曲げを生む空気感

 

科学の“捻じ曲げ”が起きた1番の原因は、恐らく業界内の空気感。

日本の水産団体や古参の政治家、業界系マスコミなど業界関係者には

「日本の漁業を褒めてくれる人、規制しない人は善人」

「批判する人、規制しようとする人は敵」と見る傾向があります。
 

2.のような捻じ曲げた科学を基に「漁業規制は不要」と論ずる学者は、

業界から「現場の気持ちを分かってくれる」「心ある」「まとも」と評されやすい。

確かに、そういう科学者には他者の感情に敏感で優しい方が多いのですが…

本来客観の積み重ねであるはずの科学が、感情に左右されているようでは、

分析結果が偏っていってしまいます。

 

科学的根拠を基に「日本人が乱獲している」と指摘する人がいても、

業界側は「あの人、日本の漁業現場も知らないくせに」とか

「科学が正しいとは限らない。海を分かった気になるな、謙虚であれ」とか

切り捨てがち。最後は「漁業規制は、科学よりも漁師さん主導が良い」と

落ち着かせることが多くあります。

 

もちろん、科学は大なり小なり間違いを含むのですが、

漁師さんの意見が間違いないということもありません。
それに、科学者の「資源は海に何トンいる」という計算に誤差があろうと、

計算を基に「何トン以上獲っちゃダメ」と線を引くことは意味があります。

魚は獲りすぎればいなくなるのですし、線引きを明確にすると守りやすい。

だからこそ、国際法が客観的な科学の視点を使うよう定めています。
なのに、そうツッコミを入れる人は「空気読めない」と後ろ指を指される。

 

乱獲を指摘する識者を、人格ごと否定する漁業関係者の声。私も何度聴いたでしょう

(第1章の通り、指摘する側の態度にも原因はありましたが、態度と指摘の的確性は別問題です)。

 

公務員や科学者が「乱獲状態とは分かっている。でも公言すると立場を失う」

「この魚は乱獲状態。だけど、私のコメントとしては記事にしないで」

なんて怯える様子。何回、見たでしょう。

 

さすがに政府ぐるみで密漁を隠した旧北洋サケ漁のような話は近年聞きませんが、

不都合な情報を封殺し漁業規制を避けようとする空気は、今も残っているのです。

冒頭のように、この空気の大元には、漁業を守ろうという関係者の善意があります。

善意での行動を筆者は責めたくないし、読者の皆様にも責めていただきたくありません。

ですが、罪を憎んで人を憎まず。

罪の部分は直視し、改める必要があるはずです。

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先の通り、今あるデータには、資源減や乱獲を示すものが多くあります。

しかも、日本は食用魚種のほとんどにデータ自体を集めていません。

なのに、最近まで、こうした問題から多くの関係者は目を逸らしていた。
この国は、真摯に海や魚と向き合ってこれなかった。

しかし、今、政府は態度を改めつつあります。
改正漁業法は、漁業者にデータ提出を義務化し、

行政の責務として漁業管理を行う、と謳いました。

水研機構や与党議員らは、科学から忖度を廃し客観性を取り戻す道を示しました。


かつて漁業を「批判させず、変えさせない」ことに重きを置いていた政府が

「問題を点検し、修正する」に方向に舵を切っています。
漁業規制は「避けるべきこと」ではなく、「末永く漁を獲り続けるためのこと」だと
発想を改めてきています。

今までやってきていたことを反省して改める、というのは面倒で苦しいことです。
業界団体や県行政、さらに国の機関の関係者にまで、漁業規制を避けようという
本能は、今も色濃く残っています。そんな中、いかに多くの関係者が発想を転換し
「魚を増やして漁業を盛り上げよう」という前向きな意識を共有できるか。

これが漁業法改正の成否を分ける最大のポイントだと、筆者は考えています。

 

日本は、小規模漁業が多くデータ集めも科学的な規制も難しい(前回参照)国です。

一方で、小規模漁業を科学的に管理し、かつ漁師さんが納得していくための

可能性を、恐らく、世界一秘めた国でもあります。

 

なぜ、日本がそこまでの可能性を持つのか、可能性はどうすれば実現するのか

次回、考えます。

※当記事は、あくまで筆者個人の分析です